#146. 北条天満宮(姫路市)

前日に福岡で仕事。これでしばらく福岡に出張することはなさそう。土曜日は北九州地域の天神巡りをしようとも思ったが、20年以上も乗ってない山陽新幹線に乗ってみたくなり博多駅。姫路で降りて山陽電鉄沿線の天満宮巡りをすることにする。当然、自腹。
1社目は、姫路市北条の北条天満宮。姫路の天満宮と言えば、男山千姫天満宮だが、敢えて今回は外す。北条天満宮は、姫路駅南口から歩いて15分。観光地・オフィス街の姫路駅北側とは違い、南側は住宅地で、週末で天気もさえない今日は人影もまばら。昭和な佇まいの住宅地の一角に北条天満宮。
静けさが記憶に残る天満宮。山陽電鉄沿線天満宮巡り、幸先が良いスタート。

由緒

延喜3年(904)菅公59才で薨去されて後、天喜元年(1053)3月に藤原頼通が宇治鳳凰堂を建立した時には既に北条天満神社はあったようである。
八ツノ宮(亀山御坊の東北)からこの地まで竹薮が続き、市ノ郷・阿呆村は市川東岸にあり、黒石の西を市川は流れていた。毎年人身御供を出す1月10日は村中悲歎にくれていた。それを不思議に思った一人の虚無僧が一匹の大いたちを退治して村人を救った。そのいたちは八つ目でこの大竹薮の主であったという。それ以来その虚無僧を村の恩人として遇し後に塚を造り、以後虚無僧山(今の塚碑より70m南)と呼んだ。
この事があってから、神社では「御当を練る」という行事が始まり、同時に武者講を造り後、毘沙講となった。保元2年(1158)の事である。現在講田の名で残っている田畑があるが、それは当時般若田又は毘沙田といった名残りである。
また、当時は神佛混淆で神社と寺を同所に祀り、当神社の境内には「正覚院」という寺があったが明治になって寺はなくなった。
(兵庫県神社庁のホームページより)

所在地:兵庫県姫路市北条宮の町369-1