急遽決まった福岡出張でひと仕事終え、土曜日の今日は、夕方まで福岡滞在。今年2度の太宰府天満宮参拝後、西鉄二日市駅。駅前からバスに乗り、二日市温泉バス停で下車。天拝山歴史自然公園まで歩き、菅公手彫りの木像をご神体とする御自作天満宮。徒歩15分ぐらい。参道入口には、菅公が自らの無実を訴えるため天拝山に登る際に禊をしたという紫藤の滝と禊の際に脱衣を掛けた衣掛石。山麓の山肌に張り付く境内・社殿はあまり大きくない。
時間的に余裕があり、もう少し涼しければ、天拝山登山もしてみたい。再訪を誓う。
もと来たバス停に戻り、そばの二日市温泉「御前湯」で汗を流し、さっぱりする。
由緒
当神社は菅原道真公に由緒深い天拝山麓の清浄なるこの地に鎮座しています。御神体は菅公御在府中当時勅願寺椿花山武蔵寺へ御参籠の時自ら御尊体を彫刻され(此の場所を天神の森という)同寺境内に安置され後に当地に奉遷し現在に至る迄御自作天満宮と称し奉斎されております。
右神社宇多天皇弘安年間武蔵寺境内に在りし頃は社殿の構造は最も宏大で美を極めていたと伝へられ建武、天正の兵火にあったが元禄五年旧藩主立花増弘現在の地を撰び社殿を再建し第十一代孫立花吉右衛門増弘境内を整理し石鳥居を建立したが明治四年再び火災にあい古来の由緒等旧記其他焼失したが御自作の御神体は損傷もなく厳在し明治十四年崇敬者により社殿又大正二年拝殿を再建され奉斎されております。
(境内掲示より)




















所在地:福岡県筑紫野市武蔵大字623
Additions
武蔵寺由来の菅公木像を御神体とする天満宮は、ここ御自作天満宮の他に、福岡市内の立帰天満宮がある。立帰天満宮の御神体となっている木像は、菅公自作像のレプリカか、あるいは複数の自像が存在したのか。
天正14(1586年)の岩屋城攻防戦の際、武蔵寺裏山の堂の山城が焼き討ちにあい、神体の首だけは運び出されていたという御自作天満宮の由緒と、元禄五年(1692年)塔原の森天神(筑前三笠郡武蔵寺村の境内)木像が掘り起こされたという立帰天満宮の由緒から17世紀に何かしらのストーリーが紡ぎ出されたと妄想。