鏡天満宮から那珂川を渡り、昭和通りから福岡・天神の由来となった水鏡天満宮へ。徒歩5分ぐらい。福岡市文学館として使われている赤煉瓦文化館の横の参道から境内に。参拝を終えて御朱印をいただく。御朱印の初穂料は「お気持ちで」、とのこと。財布にあった一番小さいお金は野口英世…。
由緒
菅原道真公は京より大宰府に左遷される道中で博多に上陸した際、今泉にある四十川(現在の薬院新川)の水面に自分の姿を映し、水面に映る自身のやつれた姿をみて嘆き悲しんだとされ、これにちなんで庄村(現在の中央区今泉)に社殿が建造され「水鏡天神(すいきょうてんじん)」「容見天神(すがたみてんじん)」と呼ばれた。
江戸時代初期の慶長17年(1612年)福岡藩初代藩主黒田長政によって「水鏡天満宮」として福岡城の鬼門にあたる現在の地に移転された。ちなみに、「天神」とは菅原道真のことをさし、福岡市中央区の「天神」の地名は、この天満宮に由来する。(引用:ウィキペディア「水鏡天満宮」)




















所在地:福岡県福岡市 中央区天神1-15−4
外部リソース
- 水鏡天満宮(ウィキペディア)
Additions
その1
庄村は現在の福岡市中央区今泉1丁目5番地付近。民家の庭先に、「容見天神故址」と刻まれた石碑がある。また、中央区薬院1丁目2番地と中央区渡辺通2丁目6番地を分ける薬院新川をまたぐ橋は「姿見橋」と呼ばれ、この名前もまた、川に映った自分のやつれ顔をみて嘆き悲しんだ菅原道真のエピソードに由来する。
その2
参拝の翌日(2016年5月23日)、仕事を終えホテルに戻ってテレビをつけると、天神那珂川沿いにある毎日福岡会館の購入で毎日新聞と合意に達していた西鉄が、一毎日福岡会館から西側の水鏡天満宮までの一帯を帯の大規模再開発の計画を立て、水鏡天満宮と土地取得の交渉に当たっているというニュース。はたしてどうなることやら…
その3
『筑前名所図会』水鏡天神社