太宰府天満宮から福岡市内に戻り、祇園のダイワロイネットホテルにチェックイン。荷物を置いたら休む間もなくホテル近くの綱敷天満宮に向かう。この天満宮は、菅原道真が大宰府赴任の途中に袖の湊に上陸した場所に建立された天満宮で、漁人が舟の綱を輪にして敷物を作り休憩の場として出迎えたという伝説があり、菅公聖蹟二十五拝の二十二番目となっている。菅原道真の足跡の上に建てられた天満宮を拝すると、歴史上の人物としての菅原道真の当時の想いに想像がおよぶ。どんな気持ちでこの地を踏んだのか…
別称
綱場天神
由来
菅原道真を祭る神社です。社伝によれば、道真が太宰権帥に左遷され、太宰府へ赴任するために袖湊に上陸したとき、住民たちは船の綱を輪にして敷物をつくり出迎えました。その後、その場所に社殿が建ち綱輪天神と称しましたが、次第に訛って綱場と呼ばれるようになったと言われています。この呼び名は、この付近の町名「綱場町」として現在も残っています。(福岡市による境内の説明板)
昭和四年四月九日村社に列せらる、菅公御左遷の時、此の袖の湊に御上陸あり、其の際船の綱を敷き御休息遊さる、後其の跡に社殿を建てて奉祀し綱敷神社と称す。太宰府神社の宝物、公御自筆の紺紙金泥の菅家系譜竝に是善卿御肖像の二品は元当社の宝物なりしを旧藩主黒田侯該宝器を太宰府神社に御寄附在せられ度思召を以て当社へは禄米を附せられ嘉永五年同侯より太宰府神社に奉納せられたるものなり。(『福岡県神社誌』)









所在地:福岡市博多区綱場町5-7
外部リソース
- 綱敷天満宮(福岡市)(ウィキペディア)
Additions
袖の湊は12世紀に平清盛によって築港されたとされる一方で、近年の発掘や築港を示す記録がないことから、袖の港の存在を否定する立場もある。さらに、菅原道真の大宰府赴任は10世紀。上陸の話が事実だとすると後年の伝承によって脚色がなされたとも考えられるし、上陸の話自体がフィクションとも考えられる。綱を敷物にして菅原道真を迎えたことを由緒とする綱敷天満宮は大阪以西に存在することから、綱敷のストーリーは、「菅原道真もきっとここを通られたに違いない」という想像を表象化するひとつのテンプレートだったとも考えられる。