熊本・大分大震災で延期となっていた福岡出張が23日。打ち合わせが朝イチのために、前日の日曜日に福岡入り。お昼前に福岡に入り。福岡空港国際線ターミナルから出ている西鉄バスに乗って太宰府天満宮に向かう。博多駅始発と思しきバスは、空港のりば到着時点でほぼ満席。車内からは中国語、韓国語、タイ語が聞こえる。30分ぐらいで参道入り口にある西鉄太宰府駅に到着。
30年近く前に参拝した時の記憶にある表参道のどことなく鄙びた雰囲気はなくなって、きれいな建物が並んでいるものの、過度な観光化は感じない。参道の茶屋をながめながら太宰府天満宮に。太宰府天満宮の参拝は高校入試の合格祈願に両親と行って以来。今回はその時のお礼参りとも言える。本殿参拝を終えて、御朱印を頂き、境内の中を散策。境内裏手にならぶ茶屋からあらかじめチェックしていた「お石茶屋」でできたての梅ヶ枝餅をいただく。できたて梅ヶ枝餅もまた、30年振り。
境内に戻って、通学・通勤安全祈願のキーホルダータイプのお守りを購入。参道の「かのや」で梅ヶ枝餅をもう一つ食べて、Facebookでおすすめされた光明禅寺の石庭を愛でる。正味3時間ぐらいの滞在まだまだ行きたいところはたくさんあるが、西鉄太宰府駅から西鉄天神駅に向かう。途中西鉄沿線に見えた榎社や天拝山にはまたの機会に訪れることにしよう。
由来
右大臣であった菅原道真は昌泰4年(901年)に左大臣藤原時平らの陰謀によって筑前国の大宰府に員外帥として左遷され、翌々延喜3年(903年)に同地で薨去した。薨後、その遺骸を安楽寺に葬ろうとすると葬送の牛車が同寺の門前で動かなくなったため、これはそこに留まりたいのだという道真の遺志によるものと考え、延喜5年8月、同寺の境内に味酒安行(うまさけのやすゆき)が廟を建立、天原山庿院安楽寺と号した。一方都では疫病や異常気象など不吉な事が続き、これを「道真の祟り」と恐れてその御霊を鎮めるために、醍醐天皇の勅を奉じた左大臣藤原仲平が大宰府に下向、道真の墓所の上に社殿を造営し、延喜19年(919年)に竣工したが、これが安楽寺天満宮の創祀で、正暦元年(990年)頃からは社号としての「天満宮」も併用された。(引用:ウィキペディア「太宰府天満宮」)






























所在地:福岡県太宰府市宰府4-7-1
外部リソース
Additions
- 光明禅寺(リンク先:太宰府観光マップ)の前庭は石を「光」という字に配した仏光石庭、奥庭は青苔で陸を、白砂で大海を表現した庭から「苔寺」とも呼ばれる。光明禅寺は写真撮影禁止。
- 『太宰府天満宮の謎 』(祥伝社黄金文庫)
:太宰府観光のガイドブックに。
- 「お石茶屋」梅ヶ枝餅
再訪
2016年8月27日。前回からほぼ3ヶ月後に再参拝。
















































