亀戸天神社を奉拝後、蔵前橋通りを西に向かう。目的地には藏前神社。由緒を読んで菅原道真は「合祀」されているということを知る。社務所で御朱印を頂いたときに、「都内の天神巡りしてるんです」と言うと、社務所の方が「えっ?」という反応をされたので、「菅原道眞もお祀りされていますよね」と言ってその場をしのぐ。江戸の天神巡りの目的でこの社を訪れる人はあまりいないのか…
別称
「富坂天神」
祭神
ホンダワケノスメラミコト(誉田別天皇。応神天皇)、オキナガタラシヒメノミコト(気長足姫尊/息長帯比売命/大帯比売命/大足姫命皇后。神功皇后)、ヒメノオオカミ(比売大神)、シオツチノオキナノミコト(塩土老翁命)とともに菅原道真公を本殿に祀る。
由来
元禄6年(1694)石清水八幡宮として建立、昭和22年に隣接の稲荷神社と相殿・北野天満宮とを合祀、蔵前神社と改称したとされる。
元禄六年(一六九三)八月山城国(京都)男山の石清水八幡宮を徳川五代将軍綱吉公が当地に勧請奉斎し、江戸城鬼門除の守護神ならびに将軍家祈願所の一社として尊崇せられ御朱印社領二百石を寄進せられた。江戸時代には別当職の僧侶も在任し、文殊院または大護院の八幡宮とも称されたが、一般には、蔵前八幡あるいは「蔵前の八幡さま」と唱えられ、庶民の崇敬者はなはだ多く、関東地方における名社の一つに数えられた。当社の創建当時は境内地も二千二百七十余坪を有し、勧進大相撲の開催も二十二回におよび、この間大関谷風・大関雷電・関脇小野川などの名力士も当社境内を舞台に活躍し、賑わいを呈した。明治以降別当職は廃止され、明治十一年十一月石清水神社と改称、同十九年四月石清水八幡宮と改称す。大正十二年九月の関東大震災により社殿焼失、その後、再建された社殿も昭和二十年三月の戦災により焼失した。(出典:『東京都神社名鑑』)







所在地:東京都台東区蔵前3-14-11
外部リソース
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社務所で昼寝