今日は九段の築土(つくど)神社から。九段界隈の坂を自転車で登るのはしんどいが、築土神社は坂の中腹で登りきる前に到着。ここに合祀された天神は、九段の坂の中ほどにあるから「中坂天神」と称されたと思いきや、九段坂と冬青木坂の間に位置する中坂という名の坂にあるかららしい。中坂天神の由緒は不明ながら、江戸時代の文献では中坂天神と既に呼ばれていること、築土神社はこの時代にはこの場所になく、当時の地図には「たやす稲荷」の表記があり、田安稲荷は世継稲荷と呼ばれるようになったことから、今も築土神社の境内社と残る世継稲荷の境内社として小津川天満宮が過去に存在し、これが中坂天神と呼ばれ、その後昭和に築土神社が遷座してきて、世継稲荷、小津川天満宮が共に末社となった想像ができる。
手水舎の屋根に頭をぶつけてたんこぶ作ったり、御朱印帳もらおうと思って、社務所兼住居らしきマンションの部屋のインターホンを押しても応答がなかったりと、ややツキがない…
祭神
アマツヒコホノニニギノミコト(天津彦彦火瓊瓊杵尊)を主祭神とし、平将門、菅原道真を配祀する。
別称
「中坂天神」
由緒
社伝によれば筑土神社は、天慶3年(940)平将門の霊を武蔵国豊島郡上平川に祀り津久土明神と称したことにはじまり、その後飯田町に近い田安に遷座して田安明神と称しました。元和2年(1616)には牛込門外の筑土山(現新宿区筑土八幡町2番地)に遷座して筑土明神となり、途中明治7年に筑土神社と改称しましたが、以来昭和初期まで牛込に鎮座し続けました。しかし昭和20年空襲で社殿などを悉く焼失し、29年には九段中坂の世継稲荷神社境内、すなわち田安明神の旧地に近い現在地に遷座しました。(千代田区教育委員会掲示より)
築土神社境内には、「木津川天満宮」という末社に菅原道真公が祀られていたが、1994年の境内工事の際に取り壊され、菅原道真公は、築土神社の相殿に合祀された。この小津川天満宮が、江戸・明治期に有力な天神とされ、「中坂天神」「飯田町の世継の天神」「飯田町中坂世継稲荷境内」などと呼ばれていたと考えられる。











所在地:東京都千代田区九段北1-14-21
外部リソース
- 築土神社(ウィキペディア)
- 築土神社/平将門を祀る江戸の古社