平河町から赤坂見附にぬけ、虎ノ門を通って神谷町、芝公園に。虎ノ門、神谷町は20代サラリーマン生活を過ごしたところだが、当時からの変わりようが激しく懐かしさを感じる場所も少ない。芝学園下の交差点から芝高校に向かう直角に曲がった急な坂道をのぼりきったところに幸稲荷神社。
境内に入り手水を終え、手水舎にならんだ小さな末社が目的の茅野天満宮。祠の立て札には、「茅野天満宮・松野天満宮」。「松野天満宮?」。境内掲示の由緒によると、同じ天神社の二つの呼び方ではなく、別々の天神社が一つの社に祀られているもよう。同じ祭神が別の名前で、同じ祠に祀られるということがケースがあるとは。
御朱印をいただいている間に、木造住宅の屋根と屋根の間から見えた、東京タワーが印象的。ここからの景色は昭和30年代の風景か。
別称
茅野天満宮:「茅野天神」
由緒
御鎮座 應永元年四月第百代後小松天皇の御代(一三九四年)昭和六十三年より五九三年以前、徳川家康江戸に幕府を開く二〇九年以前に御鎮座す。
御祭神 伊弉冉神「縁結びの神。」足仲彦命「第十四代仲哀天皇。武の神。」
譽田別命「第十五代應神天皇。」息長足姫命「仲哀天皇の皇后神功皇后。」
倉稲魂神「衣食住の神。」配祀御祭神 熊野神社 國常立神 伊邪那岐神 旧芝公園四号地鎮座
茅野天満宮 学問の神 菅原道真公 旧芝公園十二号地 鎮座
松野天満宮 学問の神 菅原道真公 旧芝公園十六号地 鎮座
瘡護神社 豊宇迦比売神 旧芝公園十八号地 鎮座
稲荷神社 商売繁昌の神 大氣都比売神 旧芝公園二十一号地金地院内鎮座
三峯社 大山咋神
右配祀神は明治三年大政官布告令神佛混交御禁止に依り芝山内に鎮座の神を当社に合祀御祭となる。
(中略)
御由緒 武蔵の國豊島郡岸之村(今の大門付近、芝公園)の鎮守として勧請す。
昔の鎌倉街道に当り郭公の名所古跡の名高く屋敷中に大幟、大燈籠を掛け寺社奉行より大倹使必ず出張す。
寛永年間、明正天皇の御代徳川家光将軍の時御府内古跡十三社の一社に定められる。中御門天皇の御代正徳三年徳川家継将軍の時寺社奉行の森川出羽守より徳川家用地として上地の旨達せられ現在地に御遷座せられる。附記 当社勧請当時は岸之稲荷大明神と称し奉りしが氏子崇敬者中願望成就、商売繁昌、子孫繁栄幸事多く有り歓喜のあまり幸哉として寛永元年甲申年より幸稲荷神社と改称し奉る。
境内末社 茅野天満宮 松野天満宮
(境内掲示より。ノノ字点を補う。)
茅野天満宮は旧芝公園十二号地(現在の芝公園2-6 日本女子会館ビル)、松野天満宮は旧芝公園十六号地(現在の芝公園4-10 芝公園内野球場)から、この地に合祀された天満宮で、明治政府の神仏分離政策によって、ともに増上寺境内から遷座。茅野天満宮は江戸・明治期には「茅野天神」として名の知られた天神社であった。

















所在地:東京都港区芝公園3-5-27