#15. 芝大神宮

幸稲荷神社から東京タワーの前を通り、増上寺を右手に見ながら大門方面に向かい芝大神宮に。結婚式が執り行われていたので、境内には緋毛氈。参拝を終えたら式もちょうど終わり、拝殿から下がった結婚式列席者で境内はいっぱいに。記念写真撮影も始まったので、早々に退社。

別称

「飯倉天神」

祭神

天照皇大御神、豊受大御神を主祭神とし、源頼朝公、徳川家康公が相殿。古くは摂末社に祀られていた、住吉神社(表筒男命・中筒男命・底筒男命)、春日神社(天児屋根命)、熊野神社(伊邪那美命)、須賀神社(須佐之男之命)、事代神社(事代主命)、氷川神社(健速須佐之男命)、八幡神社(応神天皇)、浅間神社(木花咲耶姫命)、市杵嶋神社(市杵島姫命)、諏訪神社(健御名方神)、淡島神社(少名彦名神)、宝禄稲荷神社(保食神)、福寿稲荷神社(和加産毘命)、稲荷社三社(宇賀魂神)とともに菅原道真が本殿に合祀されている。

由緒

芝大神宮は、伊勢神宮の御祭神、天照大御神(内宮)、豊受大神(外宮)の二柱を主祭神としてお祀りしています。御鎮座は遠く平安時代、寛弘二年(1005年)一条天皇の御代に創建された由緒あるお社です。
古くは、飯倉神明宮、芝神明宮と称され鎌倉時代においては、源頼朝公より篤い信仰の下、社地の寄贈を受け、江戸時代においては、徳川幕府の篤い保護の下に社頭はにぎわい大江戸の大産土神として関東一円の庶民信仰を集め、「関東のお伊勢さま」として数多くの人々の崇敬を戴きました。その当時の賑わいは、広重の錦絵に窺うことができます。(境内掲示より)

菅原道真公は本殿合祀。詳細な由緒は不明だが、増上寺境内にあった飯倉天神の遷座とされている。芝大神宮はかつて飯倉神明と称され、飯倉山(芝丸山。芝東照宮裏の芝丸山古墳)に鎮座していたという説がある。『江戸名所図会』には、飯倉神明は飯倉天神の社地にあったとの表記があること、慶長3年(1598年)に増上寺が現在の場所に移転するに伴い、飯倉神明が現在の場所に移転したということを考えると、飯倉神明移転後に飯倉天神が増上寺内に鎮座、その後、何かしらの理由(神仏分離政策?)、芝大神宮に合祀されることになったと想像される。芝大神宮には数々の末社が立ち並び、飯倉天神もその末社の一つであったが、関東大震災、太平洋戦争などの被災・再建を経て、本殿合祀となったと伝えられる。

所在地:

外部リソース