芝大神宮をあとにし、帰りの道すがら愛宕神社。出世の石段と呼ばれる急な階段をのぼり、境内へ。20年ぐらい前に参拝したことがあるが、当時の記憶とはすっかり変わった気がする。記憶では境内はもっと広々していたが、そんなに大きく変わるはずもなく、どこかの神社を参拝した時の記憶にすり替わっていたのだろう。境内掲示の由緒には、「菅原道真」の文字こそないものの、本殿合祀に「天神社(学業)」とあるから、菅原道真が祀られていると確認。参拝、境内散策を終えて、御朱印を頂き、女坂と呼ばれる石段から社外に。
別称
「愛宕天神」
祭神
火産霊命(ほむすびのみこと)を主祭神に罔象女命(みずはのめのみこと)、大山祇命(おおやまづみのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)、将軍地蔵菩薩(しょうぐんじぞうぼさつ)、普賢大菩薩(ふげんだいぼさつ)、菅原道真を配祀。
由緒
愛宕神社御由緒 慶長八年(1603)九月二十四日建立
祭神 火産霊命(火の神) 罔象女命(水の神) 大山祇命(山の神) 日本武尊(武徳の神)
勝軍地蔵菩薩(勝運・出世) 普賢大菩薩(辰・巳年の守り本尊) 天神社(学業)
境内末社 太郎坊社(猿田彦神) 福寿稲荷神社(宇迦御魂神) 弁財天社(市杵島姫命) 大黒天神祠(大國主命) 恵比寿神祠(事代主命)
(中略)
当社は徳川家康公が江戸に幕府を開くにあたり江戸の防火・防災の守り神として将軍の命を受け創建されました。幕府の尊崇篤くご社殿を始め仁王門、坂下総門等を寄進され、祭礼等でもその都度下附金の拝領を得ておりました。また、徳川家康公のご持仏「勝軍地蔵菩薩」(行基作)も特別に祀られております。(非公開)
江戸大火災、関東大震災、東京大空襲の度に消失しましたが現存のご社殿は昭和33年再建されました。寛永十一年三代将軍家光公の御前にて、四国丸亀藩の曲垣平九郎盛澄が騎馬にて正面男坂(八十六段)を駆け上がり、当社に国家安寧の祈願をし、その後境内に咲き誇る源平の梅を手折り将軍に献上した事から日本一の馬術の名人として名を馳せ「出世の石段」の名も全国に広まりました。万延元年には水戸の浪士がご神前にて祈念の後、桜田門に出向き大老井伊直弼を討ちその目的を果たした世に言う「桜田門外の変」の集合場所でもありました。
(境内掲示)
天神社の由緒は、はっきりとした史料が見つからない。『武陽菅原詣』では「愛宕下の長者の弁天相社の天神」、『東都二十五天神』『府内天神』では「愛宕下長者弁天同所」、『菅祠二十五社』では「愛宕下長者弁天町」とある。江戸時代の古地図では、愛宕下に多くの寺院が並んでいるが、このなかの天神を祀っていた寺からの遷座であろうか?
















所在地:東京都港区愛宕1-5-3
外部リソース
- 愛宕神社 (東京都港区)(ウィキペディア)
- 愛宕神社