2日続けての都内菅公巡拝。新宿区内に数ある天神の内、まずは赤城神社内の蛍雪天神。今年1月に赤城神社を参拝しているので、今年2回目の参拝。「赤城神社 再生プロジェクト」の名で、三井不動産レジデンシャルとともに再開発された神社は、社殿はピカピカ。敷地内にはホールやギャラリーを備えるマンション。さらにはカフェも。設計は、氏子でもある隈研吾。境内末社に蛍雪天神。これもまたピカピカ。受験を産業にし、一世を風靡した受験雑誌『蛍雪時代』を今も出版する旺文社の寄進による。時代と共に生きる、時代を映すというのは、こういうことなのかも。
由緒
蛍雪天神
江戸中期、学問の神として崇められている菅原道真公を祀り、横寺町に鎮座して北野神社又は朝日天満宮と称されていたが、氏子、信徒なく、明治九年三月当境内に遷座。
その後、戦災により焼失したものを、平成十七年十月、現在横寺町にある、旺文社の御寄付により、全国の受験生への合格祈願の守護神「螢雪天神」として復興したものである(境内掲示より)。
赤城神社
当神社は正安二年(一三〇〇)の創祀にして、群馬県赤城山麓大胡の豪族大胡氏が牛込に移住のさい、本国の鎮守であった赤城神社の御分霊をお祭りしたものと伝えられ、最初は牛込早稲田村田島(今の早稲田鶴巻町、元赤城神社の所在地)に鎮祭したのを、寛正元年(一四六〇)太田道潅神威を尊び牛込台に遷し奉り、その後、弘治元年(一五五五)に至り大胡宮内少輔(牛込氏)の尊信特に深く、現在の地に遷し奉った。天保十三年(一八四二)の大火により、社殿その他烏有に帰し、翌年再建に着手したが、再建途上安政の大地震等の災も重なり、二十有四年の歳月を経て、慶応元年(一八六五)に復興した社殿は格天井に花鳥を描き、向拝には龍、欄間には牡丹唐獅子・奇禽異獣を彫刻した荘厳華麗なものであったが、昭和二十年四月の大空襲により社殿・神楽殿はもとより、赤門と呼ばれた表門まで一宇を残さず焼失した。(引用:『東京都神社名鑑』)















所在地:新宿区赤城元町1-10
Additions
- 赤城神社 (新宿区)(ウィキペディア)
- 牛込総鎮守 赤城神社 – 東京都新宿区神楽坂
Additions
2016年1月11日赤城神社参拝した時に咲いていた梅の花。

