#22. 天神社(鎧神社境内)

成子天神社から新宿区を北に向かう。細い道が入り組む住宅地の中を進むと鎧神社。鳥居の前に自転車を止め、まずは本殿参拝。菅原道真公がどこに祀られているのか、境内を見て回ったところ、自転車を止めた鳥居のすぐ隣にある立派な摂社が「元(はじめ)天神」と呼ばれる天神社だった。梅の神紋がこのことを語っている。中央線がすぐ近くを走っていて、境内にいるとひっきりなしに電車の音が聞こえるが、この場所から聞こえる夕方の電車の音は、一日が終わりを伝えているようで、騒々しさは感じない。

別称

「元天神」

由緒

鎧神社

当社は江戸時代迄、鎧大明神と称し、此の辺りの古社として人々の尊崇を受けて来たが、鎧の社名は日本武命御東征のおり、甲冑六具の内を此の地に蔵めた事より社名起ると伝えている。天慶三年(九四〇)関東に威を称えていた平将門公、下総猿島に亡びし時、土俗の公を追慕して天暦(九四七)の始め、将門公の鎧も亦此所に埋めたという。別説によれば将門軍残党を追って此地に来た藤原秀郷、重病を得て悩み苦しんだ時、是れ皆将門公の神霊の怒り也と怖れ、薬師如来を本尊とする円照寺寺内に公の鎧を埋め、一祠を建てて厚くその霊を弔った所、病悉く癒えたという。これを聞いた里人達その神威のあらたかなるを畏み、柏木淀橋にかけての産土神として深く信仰して来たものである。明治初年将門公は朝廷に反したものとして官の干渉で末社に移されたが、大戦後氏子全員の願いで本社に復する。
(境内掲示)

天神社

もともとは柏木北公園に鎮座しており、明治中頃に遷座されました。成子天神の元の社であることから元天神とも言われます。(鎧神社ホームページより)

所在地:東京都新宿区北新宿3-16-18

外部リソース