#87. 立帰天満宮

日曜日に開かれる大学のイベントに参加のため、前日午前中に2ヶ月ぶりに福岡入り。ホテルのフロントに荷物を預け、天満宮巡りへ。レンタルサイクルでと思い、とあるショップに電話をするが、レンタルのサービスは止めたとのことで、地下鉄とバスを使うことにする。ホテル近くの中洲川端駅で一日券乗車券を使って大濠公園駅、ここから歩いて西公園に向かう。立帰天満宮までは10分ぐらいの道のりだが、炎天下でこれ以上の時間を感じる。参道から境内は、登っていくのが一般的だが、ここは、参道を下ったところに社がある。前日の雨で水溜りがあり、蚊にも煩わされながらの参拝。御朱印をいただきに光雲神社社務所に立ち寄り、大濠公園駅に戻る。途中「梅が枝餅 出張所」なるお店があるが、空いていない。

由緒

菅原道真を祭る神社です。社伝によれば、ご神体は元来、武蔵寺(筑紫野市)の境内に祭られていましたが、元禄年間(1688年-1703年)に荒津山の麓の源光院へ移されました。明治20年(1887年)福岡師範学校の建設に伴い、現在地へと移転しました。港近くに鎮座する当社は、その名称から旧藩時代には藩船の船乗りに信仰され、近代に入ってからも特に遠洋航海にでる漁業関係者の崇敬を集めました。戦時中には出征兵士の無事な帰還を願う人々が多く参詣したと伝わります。
(福岡市による境内掲示より)

縁起によれば、本社の御神体は菅公御手作の尊像と伝えられております。
延喜二年(九〇二年)のある日、菅公は天拝山(筑紫野市)に登られはげしい雷雨の中、七日七晩の間国家の安泰と御自身の無実の罪を天に祈られました。この天拝に先だち近くの龍王の滝で百日間の斎戒沐浴をされた折に、手ずからご自分の像を彫られこの地に置かれたとのことです。
元禄五年(一六九二年)塔原(とうのはる)の森天神(筑前三笠郡武蔵寺村)の境内よりこの木像が掘り出されしばらく森天神に祀られていましたが、元禄の末頃武蔵寺の本寺たる荒津山麓源光院内に御遷座申しあげました。やがて山王社の相殿に御祀り申しましたところ霊験あらたかとして神徳弥高くお山の天神様として、崇敬者は、日に月に多きを加えてまいりました。
島原の乱の時、祈願をこめて出陣した黒田武士が無事に立帰った(凱旋)事から、天神様は文神ばかりか武神でもあると信仰がさらに深くなり、また黒船の長崎警備に向かう武士や加子(水夫)の無事立帰りの喜びがいつのまにか日本で只一つの立帰り天満宮と特別の尊崇を受けるようになりました。
第二次世界大戦の時にも出征兵士や家族の参拝が絶間なく無窮の神威を顕せられ、平和の時代となってからも、出漁、旅行、家出人等の祈願をされる方が引きもきりません。文武・交通・勝利・成功の神様として広く尊敬され、このささやかなる御社に遠近の崇敬者が、数多く御参拝いただいております。
(『平成祭データ』より)

所在地:福岡県福岡市中央区西公園10-7