#90. 天満宮(福岡市西区野方)

水町天満宮から姪浜駅の南口のバス停。西鉄バスで野方方面に。冷房の効いたバスでひと息。乗車したバスは運良く野方天満宮前のバス停に停車。西に向かって歩くと、程なくして十郎川沿いの道路に出る。右手に天満宮。社はさほど大きくないが境内は広々している。ここもまた注連柱が印象に残る。拝殿の前には、日本酒の瓶。近所の住人のお供え物だろう。参拝を終えて、野方営業所バス停。橋本駅行きのマイクロバスに乗ったが、逆方向の循環バスだったため、必要以上に時間を使ってしまう。激しい空腹を感じてきたので、橋本駅についたら食事を取ろうと、ネットで食事処を探しながら時間を潰す。

由緒

本村の北に在。菅神を祭る。鎮座の始詳ならす。里人の説に天文元年に、郷士藤淡路といふ者勧請せしといひ傳ふれとも、永正十四年に武藤主税助長信といふ者、當社に天神免灯油田の寄進賞状、奉祀姪濱村殿上氏の家にあるを見れハ猶此さきより在し社なり。寶暦五年に功崇公神祠を再造給へり。其時石鳥居をも建給ひ、祭料をも寄給ひ、明和六年八月に石鳥居再建し給へり。或時同公遊獵の序に、此社に詣給ひて御歌あり。
神垣の若木の梅はいく千代のはるをこめたる色香なるらん
本社の南に室尼社有。木像を安置す。
『筑前国続風土記 拾遺』

村の北天神の前といふ所に有。川の邊なり。菅神を祭れり。天文元年八月、野方村の郷士藤淡路といふ者造立す。其後寶暦五年、繼高公遊獵の次、此社に詣て給ひ自ら和歌を
神かきの若木の梅の幾千代の春をこめたる色香とそ見る
詠してさゝけ給ふ。其後石の鳥居を造立し給へり。柱の銘に、筑前國主從四位下行左近衞權少将源朝臣繼高建立明和六歳己丑八月吉日とあり。
『筑前国続風土記 附録』

所在地:福岡県福岡市西区野方1-4