櫛田神社から国体道路を西に進み警固神社。社殿がそれほど大きいと感じないのは、境内が広くゆったりとしているためか、あるいは、福岡三越が入り、西鉄天神駅にもなっている背後のビルが大きすぎるからなのか。菅原神社は本殿北側の石祠。由緒書きのようなものはない。
2回目の九州ラウンド、これにて終了。近くのコーヒーチェーンで朝食をすませて、打ち合わせ場所に向かう。
由緒
警固神社
古くは、筑前国那珂郡岩戸郷の上警固村に御鎮座されていたと伝えられています。仲哀天皇九年庚辰(ニ〇〇)に福崎(現在の福岡城本丸跡周辺)の筑紫石辺りに警固大神が化現され、また神功皇后が三韓御親征の際には、警固大神がその船団を守護し勝利へ導かれたと言われ、その報恩に神功皇后は最初に化現された福崎山(現在の鴻臚館跡)に警固三柱の大神を祀られ、これが警固神社の創建とされます。
慶長六年辛丑(一六〇一)には、福岡藩初代藩主である黒田長政公が福崎山に福岡城を築城するため、当社をいったん、下警固村山上の小烏神社に合祀され、御社殿完成の同十三年(一六〇八)七月七日現在地に御鎮座となりました。御鎮座以来、福岡鎮守の神として、人々はもとより歴代藩主からも篤く崇敬され、元和七年(一六ニ一)十一月五日に黒田長政公より神領八十石を奉納せられたのを始め、二代藩主黒田忠之公の産土神としても崇められ、代々の藩主より種々の奉納を受けました。
明治五年(一八七ニ)十一月十三日、村社に指定され、その後大正五年(一九一六)二月二十六日には県社に昇格となります。なお、社名及び周辺の地名である「警固」は、かつて鴻臚館近くに置かれた太宰府政庁の防衛施設「警固所」に由来します。
(警固神社パンフレットより)
菅原神社
由緒不詳。石祠には「大正八年四月」の建立を示す文字が彫られている。


















所在地:福岡県福岡市中央区天神2-2-20