#162. 吉祥院天満宮

綱敷行衛天満宮から西大路通に歩き、西大路七条バス停から船戸町バス停。そこから徒歩で吉祥院天満宮。菅原家代々の居宅を由緒とする天満宮の境内は広いが、境内にはサブカルチャーなオブジェが並ぶ。幼少の菅公人形、児童公園にあるような干支人形、さらにはディズニーキャラクターの人形。時期的に七五三の幟も立ち、境内の隣には吉祥院保育園。「児童推し」の印象がいっそう際立つ。
ご朱印とともにいただいたパンフレットを見て、児童推しも納得。菅原院天満神社、菅大臣神社とともに京都市内で、菅原道真公生誕の地を謳う吉祥院天満宮は、道真公が貞観4年(862)文章生に合格する18歳までこの地で学び育ったという由緒を伝えていて、阿古と呼ばれた幼少期を過ごした場所。菅原道真公の数ある足跡に由緒を持つ天満宮でも、幼少期を過ごしたという由緒は、差別化要因だろう。
広い境内にある、菅原道真公の臍の緒を埋めたと伝わる胞衣塚、菅原道真公が少年時代、習字に使ったと伝わる硯之水、菅原道真公が参朝の際に顔を映したという井戸・鑑の井を見て、吉祥天女、菅原清公卿、菅原是善卿、観世音菩薩、薬師如来、伝教大師、孔子を祀る吉祥天女社を参拝して、還向。
スムーズだったバスの移動は吉祥院で途切れ、徒歩でJR西大路駅。途中雨が激しくなる。駅前の定食屋で遅い昼食。ホテルにチェックインして、翌日のプレゼンのひとりリハーサル。

由緒

道真公の曽祖父・土師古人が平安遷都に際し天皇の供として入京し賜った地で、ここに邸を構えた。祖父・菅原清公の代に菅原へ改称する。清公は遣唐使として海上にあるとき(唐への途上・もしくは帰国時)、嵐に遭遇しながらも吉祥天女の霊験により難を逃れ、以降菅原家では吉祥天が信仰された。その後、清公(もしくは道真公の父・菅原是善)が邸内に吉祥天女を祀り吉祥院と名付けて菅原家の氏寺としたの当社の起り。その後、以下のような経緯で、菅原道真公を祀る。

当宮は、菅原道真公がお亡くなりになって31年目に当たる承平四年(934)に菅原家ゆかりの道真公ご誕生の地に朱雀天皇の勅命により創建された最初の天満宮である。
即ち日蔵上人が吉野金峰山にて修行中、天満大自在天神の存在を眼のあたりにし、「若し人我形を作り我名を唱えて尊重せば其人を擁護せん」との御誓願を承り、ただちに内裏に参り朱雀天皇にこの由奏上したところ、帝は早速菅公のご幼少の尊像を御宸刻になり、菅神の霊としてこの吉兆院の地に勅祀されたのである。(吉祥院天満宮パンフレットより)

所在地:京都府京都市南区吉祥院政所町7

外部リソース