#163. 桃山天満宮(御香宮境内)

京田辺市での仕事で、某所に11時30分に集合。集合場所までは、京都のホテルから1時間ぐらい。10時にホテルを出れば十分だが、8時から行動開始。近鉄京都線で桃山御陵前駅に向かう。目的は桃山天満宮。通学の高校生たちに混じって電車に乗る。
桃山天満宮のあるのは御香宮。境内では掃除、拝殿では朝の御祈祷と、参拝客を迎える準備をするかたわら、ビジネスパーソンが通勤途中の参拝。
桃山天満宮は、旧伏見城の大手門と伝えられる重文の表門をくぐり本殿に向かう参道途中の右側。伏見城の石垣に使われていたと思われる残石が無造作に置かれているそば。手入れが行き届いた社に、臥牛像も鎮座。

由緒

桃山天満宮

その昔、御香宮の東に蔵光庵というお寺がありました。一三九〇年頃(室町時代)この寺の僧の夢枕に菅原道真がたたれました。数年後、同門の僧から菅原道真の画像が贈られました。それは夢で見たお姿と同じであったので、僧は自分の学問を守って下さる神として、寺のなかに天満天神として祀りました。
江戸時代、「山ノ天神」として伏見の町の寺子屋の子供達は、二月と六月には必ずお参りをしていました。
しかし、次第に荒れてきましたので観音寺の僧教覚が町の中にお遷ししようと、本谷市造と、宮大工坂田岩次郎の協力を得て、二十年間の歳月をかけて一八四一年(天保十二年)に完成しました。
この時、坂田岩次郎は使用した大工道具を完成御礼として奉納しました。この大工道具約七十点は日本の木造建築を支えた道具文化財として大切に保管されています。(洛南保勝会による案内板より)

御香宮

社伝によれば、貞観四年(八六二)境内から清泉が湧き出て、その香気が漂い、その水を飲むとたちまち病が癒えたので、「御香宮」を賜った。
以後、伏見の産土神として人々の信仰を集めたが、度々の兵乱や天災により荒廃した。文禄年間(一五九二〜九六)豊臣秀吉は、当社を伏見城内に移し、鬼門の守護神としたが、慶長十年(一六〇五)徳川家康により旧地である当地に戻され、現在の本殿(重要文化財)が建立された。表門(重要文化財)は、旧伏見城の大手門と伝えられている。
宝物として、秀吉の寄進した金熨斗付太刀(きんのしつけたち・重要文化財)を蔵する。境内には、伏見義民文殊九助らの顕彰碑がある。毎年、十月の神幸祭は、伏見祭・花傘祭とも呼ばれ、神輿や花傘、獅子などが出て、盛大に行われる。(京都市による境内駒札より)

所在地:京都府京都市伏見区御香宮門前町

外部リソース