五条通を鴨川に少し戻り、大和大路通を北進。京都ゑびす神社に。大和大路通、さほど道路幅のある道ではないが、河原町方面への抜け道になっているせいか自動車の往来が多く、安全通行に気が抜けない。
鳥居には、神額ならぬえびす様の尊顔。まずはえびすさんにご挨拶。後から知ったのだが、拝殿から拝んだ後、本殿横に回って、壁をトントンと叩かなければ、耳の少しばかり遠くなったえびす様は、本坪鈴の音に気づかれないらしい。今回の参拝の鈴の音は届いただろうか。
小松天満宮とも呼ばれる天満宮は本社に向かって右側。末社ながらも大きな社。境内には、名刺塚、財布塚といった、「マネー」を想起させるユニークな塚がならび、「松下幸之助」が寄進したと思われる玉垣もある。えびす様のご利益は、五穀豊穣・商売繁盛。「マネー」ってことになるか。
下向しようと思ったら、「たわない」という声。振り返ってみると、鳥居のえびす様の尊顔の神額の下にある福蓑に向かってお賽銭を投げる女性。なるほど、この福蓑にお賽銭がはいると、いいことがあるということね。お賽銭を投げる女性は、両親と思われる初老の夫婦と一緒。「たわない」つまり「届かない」と言っていたことから広島県か、山口県か、岡山県か、あるいは大分県あたりからの観光だろう。娘と両親三人の旅行とは微笑ましい。えびす様の後利益には、家内安全ってのもあったな。
由緒
京都ゑびす神社
京都ゑびす神社は西宮・大阪今宮神社と並んで日本三大ゑびすと称され、「えべっさん」の名で親しまれています。
その起源は約800年前土御門天皇の建仁2年(1202年)に禅の祖といわれる栄西禅師が建仁寺建立にあたり、その鎮守として最初に建てられたものです。
今日多くの方はゑびす様と言えば「商売繁盛の笹」をイメージされますが、ゑびす信仰の象徴とも言える笹は元来京都ゑびす神社独自の「御札」の形態が広まったものです。
笹は縁起物の松竹梅の竹の葉で「節目正しく真直に伸び」「弾力があり折れない」「葉が落ちず常に青々と繁る」といった特徴から家運隆昌、商売繁盛の象徴となりました。
(京都ゑびす神社ホームページより)
小松天満宮
詳細不明。出所は不明だが、九州筑紫の天拝山で荒業をする憤怒の姿した菅原道真像を祀り、供物は精進物に限定されている。「足止め天神」とも呼ばれ、狛犬の足に名前と生年月日を書いた紙を、男なら右足、女なら左足にくくりつけ、毎日お参りすると家出した人が帰ってくると言われる。また、大切な人が自分から離れないという「縁固め」のご利益も。












所在地:京都府京都市東山区小松町大和大路通四条下ル小松町125