#54. 天神社(大阪市福島区)

中ノ天神跡を後に、あみだ池筋を西に歩く。途中横道に入ると目的地と思しき下ノ天神・天神社にものすごい人だかり。よく見ると子供連れの母親。境内に入って人だかりの意味を理解。境内の横には、幼稚園が併設されている。母親に送られ登園した子から順番に幼稚園教諭と一緒に本殿前で朝のあいさつをしている。あいさつのあと、幼稚園舎に子どもが入っていくのだが、子どもを送り届けた母親は境内にしばし残って世間話をしている模様。子どもの朝のあいさつの合間を縫って、参拝。
子どもや母親、幼稚園教諭の顔が写らないように境内内の写真撮影。人だかりが絶えないので境内全景は撮影できない。無難なアングルから写真をとり、社務所に御朱印をいただきにあがる。品の良いおばさまが対応。東京から出張で大阪に来ていることを話したら、「遠いところからわざわざ」とねぎらいと参詣のお礼の言葉を御朱印とともにいただく。もしかしたら隣の幼稚園の経営にも関わられているのかな?と想像しながら社を後にする。

祭神

少彦名命、菅原道真公を祀る。

別称

下ノ天神

由緒

古伝によりますと、当社は創祀頗る古く、今を去る凡そ千百年前、第五十九代宇多天皇、第六十代醍醐天皇の御代既に現在地に鎮座されておりまして、延喜元年(皇紀千五百六十一年・西暦九百一年)正月、右大臣菅原道真公左遷されて築紫に下向のみぎり当地に舟をとどめ当社主神少彦名命様の御前に海路の平穏を祈願され、餓鬼島の地名を福島と名付けられたと伝えられています。(摂陽奇観)
爾来当地は川に沿って発展してまいりましたが徳川時代初期から中期即ち今から三百六十年程の昔、寛文元禄の頃が当社の最盛期かと思われ、社殿手水舎の造営、石垣、燈籠等の修築が屡行われ当時を偲ぶ碑文も残されております。(引用:『平成祭データ』神社本庁)

所在地:大阪府大阪市福島区玉川1-4-5

外部リソース