園児の登園で賑やかな下ノ天神・天神社を遠慮しがちに参拝した後は、東に1kmほど離れた福島天満宮に向かう。ホテルを出た時は青空が広がっていたものの、今日の天気予報どおり空が曇ってくる。あみだ池筋から国道2号線手前の一方通行の道からなにわ筋に向かうと、なにわ筋との交差点角に福島天満宮。出社時間を過ぎたのか、出勤途中の参拝者も見当たらず、境内はほぼ貸切状態。境内にいるのは宅急便の配達のドライバーのみ。参拝後、御朱印をいただき、社を後にする。国道2号線に出たところで、車の喧騒に気づき、福島天満宮の朝の静けさを思い返す。さて、オフィスに向かおう。
祭神
菅原道真公を主祭神に、大国主命、
事代主命、少彦名命を相殿に祀る。
別称
「上ノ天神」
由緒
当社は907年(延喜7年)の創始と伝わるが、その縁起は、菅原道真が左遷のため太宰府に赴任の途中、河内道明寺の叔母覚寿尼を訪ねた後、いよいよ瀬戸内海を船で下ることになり、当地で風待ちのために滞在した。その時、土地の人達が失意の道真一行を丁重に迎え、親切にもてなした。道真はこれに感謝して、御礼に布地に自分の姿を描いた絵を残し、傍らの梅の小枝を一枝折り、『行く水の中の小島の梅さかば さぞ川浪も香に匂ふらむ』と詠み、梅の枝に添え、松の小枝と共に地面に突き刺した。不思議なことにこれが1本となって根を下ろし大木となり、元禄年間(1688〜1704年)の頃まであったという。
903年(延喜3年)道真の訃報を風の便りに聞いた里人が、その徳を慕い、この梅松二枝が根を下ろした所に、小祠を設け画像を祀ったのに由来する。
また、道真が土地の人に当地の地名を尋ねたところ、『鹿鬼島(がきじま)』とも『葭原島(あしはらじま』とも呼んでいると答えがあったため、鹿鬼は餓鬼、葭は悪しに通じるので、良くない名前なので『福島』と改めるよう勧めたと伝わり、福島の地名の由来でもある。
この時、接待した地元の徳次郎に対し、『福元』姓を与えたとも伝わり、福元一族は当社の一老・宮座となり、その子孫は現在も存続しているという(引用:『福島天満宮略記』)。


























所在地: 大阪府大阪市 福島区福島2-8-1
外部リソース
Additions
『摂津名所図会』福嶋天神祠(国立国会図書館デジタルライブラリー)
上福嶋、中福嶋、下福嶋、三所にあり 何れも菅公を祭る、毎歳六月廿五日、天満祭の時、神輿供奉の舩、此所より出る也、往昔の鉾流しの神事の遺風也とぞ、此地に勧請のはしめは、菅公つくしへさすらへ給ふ御時、此嶋に舩かゝりまし/\、里人に所の名を尋給へば、餓鬼嶋也と申上る、是不祥の名也、改て福嶋と名乗らは、後世繁昌すへし、との仰によりて、福嶋といふ、異名を葭原嶋ともいふ