#122. 天満宮(東新町氷川神社境内)

平塚神社と七社神社で、今日は打ち止めとも思ったが、からだを動かし足らないので、飛鳥山、滝野川、大山、大谷口と西に向かい、板橋区東新町の氷川神社。東参道から参拝。本殿の本坪が神楽鈴になっているのが特徴的。白い末社鳥居の奥に榛名神社とともに並ぶ、向かって左側の石祠が天満宮。社号を示す駒札には、「太宰府天満宮」。太宰府からの勧進だろうか。太宰府を冠する由来が気になる。ゆっくりと参拝したいが、ヤブ蚊に襲われ落ち着かない。

由緒

氷川神社

ご祭神は須佐之男命です。当社は、旧上板橋村字上之根の地に鎮座して、古くから崇敬を集めてきました。創建は不明ですが、文政六年(一八二三)の「上板橋村書上帳」に「一御除地五反四畝歩 当所鎮守氷川宮地但宮・拝殿有之候 一御除地中田壱反八畝拾歩同社免」とあるので、江戸時代にはすでに旧上板橋村の鎮守として当地に鎮座していたと考えられます。当社の氏子の範囲は、旧上板橋村の南部に広がり、江古田駅前の浅間神社も当社の境外末社の一つです。なお、浅間神社の境内にある富士塚は、昭和五十四年に国の重要有形民俗文化財に指定されています。当社の境内にある資料館は、この地域一帯が都市化により姿を変えていくなかで、往時の姿を保存するため、有志によって昭和四十六年(一九七一)に建設されたものです。収蔵品には、衣食住関係(衣服・炊事用具等)や生業関係(農具・工具等)、社会生活関係(防災用具・信仰関係等)等があり、江戸時代から昭和まで千点余に及んでいます。昭和五十九年度に一括して板橋区の指定有形民俗文化財となりました。
(板橋区教育委員会による境内掲示より)

天満宮

詳細不明。駒札には、「太宰府天満宮」とあり、太宰府天満宮からの勧進とも推測される。『北豊島郡誌』の当氷川神社の末社に関する記載は、「境内末社榛名、稲荷、日枝各一社及び、八雲神社二社あり」となっていて、天神、天満宮に関する記載はない。

所在地:東京都板橋区東新町2-16-1