練馬区谷原の住宅地から土支田通りに出て西進し、土支田八幡宮を目指す。練馬土支田郵便局の先の交差点を左に曲がると、住宅と農地が点在。東京23区にいないのではないかという錯覚に陥る。土支田八幡宮に着くと、鳥居の前でおばあさんが何かを拾っている。その横を学生が「クサイ」と言って自転車で走り抜ける。ぎんなんの季節。
土支田八幡宮は、誉田別命を主祭神とするが、手水鉢や社殿の社紋は星梅紋。御神灯の社紋は巴紋。珍しいなと思いつつ、戦後の社号改称前は菅原道真公を主祭神とする北野神社であったという由緒を境内の掲示で知って納得。ただ、主祭神と社号を変更した経緯が気になる。木々が生い茂る境内はまさに「杜」の趣き。
由緒
社の詳しい創建年代は不明であるが、鎌倉時代末と伝えられる。
「土支田村下組明細書上帳」など、江戸時代の古文書には、八幡社他三社の記載があり、明治時代になって合祀し、「北野神社」と称した。土地の人々からは字名で「俵久保の天神様」と呼ばれ親しまれていた。
主神は誉田別命、相殿神に菅原道真命、天照皇大神を祀っている。戦後、現在の社名に改称する以前は主神に菅原道真命を祀っていた。境内社には稲荷社、八雲神社、御嶽神社、祓戸社がある。
本社には江戸時代の書家、三井親和筆の社号扁額のほか、文化元年(一八〇四)銘、粉川市正作の半鐘(区登録文化財)などが保存されている。また境内には大六天などの貴重な石造物がある。
拝殿右手には、建武の親政の時偉功のあった新田義貞の家臣、篠塚伊賀守時成が戦勝祈願して植えたと伝えられる「伊賀の松」の切り株が往時の名残を留めている。
(練馬区教育委員会による境内掲示より)
祭神
誉田別尊を主祭神に菅原道真公・天照皇大神を相殿とする。














所在地:東京都練馬区土支田4-28-1