土支田通りから笹目通りに出てわずかに南進し、旭町の住宅街。左右に寺の本堂が見える路地を抜けると、目的の天満宮は左手の本覚寺境内。神仏分離政策を切り抜け、神仏習合の時代を想像させる佇まい。本堂と社殿は隣りあい、本覚寺の参道と並行して天満宮の参道が細長く伸びている。明治以前、多くの寺社にはこのような様だったのだろうか。
由緒
本覚寺と北野神社(天満宮)
本覚寺は日蓮宗で、雑司谷法明寺末、山号を法光山といいます。創建の時代は詳かではありませんが、開山の寺の記録で日栄上人(寛永19年1642寂)、新編武蔵風土記稿で日円上人(元和3年1617寂)と伝えます。開基は法光院常蓮、俗名小島兵庫(慶長元年1596没)とありますから、江戸初期の創建にちがいありません。
北野神社(天満宮)は、小島家の伝えでは、同じ頃同家の鬼門除けとして建立され、のちに村人から「八丁堀の天神様」と呼ばれ崇敬をあつめました。幕末までは本覚寺が別当の天神社でしたが、明治の神仏分離で北野神社と称しました。今も神仏習合時代のたたずまいを残しています。
本覚寺の「天眼願満日蓮大菩薩像」は室町時代の作と伝え、近在はもちろん、江戸市中からの信仰もあつめてきました。門前の日蓮聖人五百遠忌題目碑は安永2年(1773)に江戸下町の講中と、土支田村の人びとによって建立されたものです。寄進者の中に御殿女中らしい名も見られ、信仰の層の広さがうかがえます。
北野神社には江戸時代からの絵馬が数多く奉納されています。祭神菅原道真公に学問の向上成就を祈願したものでしょう。境内に法光稲荷が祀られています。
(練馬区教育委員会による境内掲示より)
別称
旭町北野神社










所在地:東京都練馬区旭町1-26