#140. 氷川神社(足立区西保木間)

伊興から保木間の氷川神社。下校の小学生に注意を払いながら自転車を進める。参道に向かって左側が淵江小学校、右側が寶積院という寺院。目の前を東西に走る小道は「流山道」と呼ばれ東は花畑大鷲神社や成田山、西は西新井大師総持寺に通じる信仰の道で地元の旧家も沿道に点在する。
菅原道真公が合祀される本社や、榛名神社や稲荷神社で手を合わせる。境内を後にする際に掲示板で、1898年(明治31)9月群馬県邑楽郡・栃木県安蘇郡等の足尾銅山の鉱毒被害を受けた住民3000人が鉱毒被害を訴えるため上京、被害問題に取り組んだ田中正造がここ保木間氷川神社で住民と出会い、鉱毒問題の解決に努力するという演説を行い、被害住民を帰郷に導いたという、「保木間の誓い」という史実を知る。
寺社に歴史あり。

由緒

祭神として、須佐之男命、豊受姫命、菅原道真を祀る。
当社の創建は明らかではないが、中世この地は関東の豪族千葉氏の陣屋跡と伝えられ、妙見社が祀られ、のち天神を祀る菅原神社となった、それ故に隣接の天神社別当寺宝積院は、その山号を北斗山と称するという。
江戸時代、保木間・竹塚・伊興三村の鎮守は、もと伊興氷川社で、明治の初め当社もそこに合祀されたが、明治5年分離して、社名を氷川神社と改め保木間村の鎮守となった。
この地域一帯は、伊興地区について早く開け、平安期末から鎌倉期にかけて発展した。保木間の地名は、平安期末に西国の武士が木の柵を設け、田畑を起こしたことによると伝えている。またこの地域では、古墳時代の土師器や鎌倉期以降の板碑などが多く出土している。
(足立区教育委員会による境内掲示より)

祭神

主祭神、須佐之男命。豊受姫命、菅原道真公を合祀する。

所在地:東京都足立区西保木間1-11-4