足立区本木南から再び住宅街を地図アプリを頼りに自転車で縫いながら、足立区梅田。目的地手前で、道路工事に出くわし遠回り。こういう時にアプリのナビ機能は融通が利かない。明王院の境内に入るものの、案内はなく、どこに天満宮があるかしばし思案。境内には尋ねる人も見当たらない。本堂向かって右奥、山門をくぐって右側の鬱蒼とした場所に、並ぶ祠を見つけ、足を進めると天満宮。ネットで由緒を調べ、この天満宮の勧進が、「梅田」と呼ばれるきっかけだったことを知る。足立区梅田の地名が、梅を愛でた菅原道真公に遡るとは思いもよらなかった。
由緒
明王院
当院の縁起によると、治承二年(一一七八)六条判官源為義の三男義広が、榎戸に一宇を建て源家の祈願所とした。
そののち弘安のころ、三世義純がここに住み、五世久広のとき当院のかたわらに天満宮を勧請して、万徳山梅林寺と号し、姓を梅田と改めた。そのころよりこのあたりを梅田村といった。
江戸時代には、徳川家光・八代将軍吉宗・十二代将軍家慶など歴代将軍の鷹狩りの折の御膳所となり、また源家の古い祈願所の故をもって寺領十三石を賜った。
寛保二年(一七四二)不動明王を京都より奉戴して不動堂を建立し、赤不動と言われて庶民の信仰を集めた。
当院には都重要文化財「如意輪観音像」、関流算法宗師小泉寧夫先生の碑、八彦尊(咳に効験あり)などがある。
(境内掲示より)
天満宮
源義純が弘安の頃に勧請。かつては、寺の北側の通称「天神山」と呼ばれた小山に鎮座。







所在地:東京都足立区梅田4-15-30