明王院の天満宮参拝後は、自宅方面の西之宮稲荷神社を予定していたが、梅島天満宮があったことを思い出し、自宅からは少し遠ざかる梅島駅は。
駅の近くで地図アプリは到着を示すが、神社らしきは見当たらない。東武スカイツリーラインをくぐり、マンションと高架線路に挟まれた土地に梅島天満宮を見つける。梅島の地名は、明治中期の町村合併で、梅田村・島根村・小右衛門新田・栗原村を合併した際、中心となる梅田と島根から頭文字をとって梅島村となったのが由来。梅田村の地名は、明王院の天満宮勧進に由来するので、梅島の地名もまた、菅原道真に由来すると言えなくはない。この地に、太宰府天満宮の宮司西高辻信氏により天満宮が分霊されたというのは、縁なのかもしれない。
由緒
梅島町会が独立組織されるようになって、梅島町内会にも神社を祭ろうとの要望が高まり、梅島公園(梅島小学校地)に神社を造営。1948(昭和23)年9月23日筑紫太宰府天満宮の宮司西高辻信氏により分霊遷宮して、梅島町会の鎮守神とした神社である。
(中略)
神社草創当時を知る人は、蓮田の中に細い道があり、その奥に梅島天満宮があったと言う。一方、梅島駅前に古本屋があり、その隣に素朴な道祖神があり戦後の混乱の時代であったので、学問の神様がいいということになり、それを九州太宰府天満宮から分霊遷宮して、梅島公園用地(実際は梅島小学校の敷地)に天満宮として小さなはこらを置いた。
(中略)
1966(昭和41)年11月1日現在地に土地を購入し、翌年神社社殿を新築、次いで71(昭和46)年3月10日に社務所を新築。また神主がいないので、一七神社連絡会の関係で五反野稲荷神社の神主宮司が担当している。(『足立風土記稿 地区編』より)










所在地:東京都足立区梅島3-2-5