前日は歩き疲れて、ホテルの宿泊を楽しむことなく寝落ち、眼が覚めると、翌朝。前日に買っておいたパンを食べ、シャワーを浴びてチェックアウト。神戸駅から兵庫駅方面のバスに乗車。兵庫駅の手前のバス停で降りそびれ、兵庫駅北口。南口に抜け、国道2号方面に徒歩10分。今日も歩きの1日になりそう。
柳原交差点を少し入ったところに柳原天神社。菅公の足跡に由来する天神社だが、こじんまりとした境内。拝殿横に、根元が結ばれた雌雄のイチョウが共生している。
菅公足跡に由来する社で、大宰府下向の途中、兵庫港に菅原道真が上陸したことに由来。境内の案内では、上陸後真野ケ原一帯の梅花を愛で、歌を詠んだことに言及しているが、暴風雨を避けるために上陸したとの由来もネットに見受けられる。いずれも伝説としての脚色かもしれない。
祭神
菅原道真公を主祭神に天之菩卑能命・野見宿禰命を配祀する。
由緒
人皇第60代醍醐天皇の昌泰四年正月、右大臣菅原道真公は、九州太宰府へ左遷される事となり、その途次、当地兵庫港に上陸し、折から咲き誇る梅花を賞で
風さむみ雪にまかへて咲く花の
袖にぞ移れ 匂ふ梅が香
と詠じ給わった。
公の太宰府に崩ぜられるや、太宰府安楽寺の菅公廟より御分霊を迎え奉祀した。これが当社の縁起である。鎌倉時代時宗の二世他阿上人が当社の傍に満福寺を建立し僧侶が奉仕した明治初年、神佛判然令に依り独立して神道祭祀となる(戦前は十五米東側で東面す)昭和二十年三月太平洋戦争のため本殿以下諸建物また氏子三千戸も全焼し、同二十三年より本殿以下を復建した。
古来平家一門また時宗の門徒の進行厚く特に平忠度は天神画像の大軸を奉納す。
徳川時代の文教盛んとなるに従い益々社勢も亦盛となり、明治初年、氏子の切戸町の旧幕府勤番所跡に兵庫県庁を置き県政の中心地となるや朝野の名士、文人墨客の往来参拝多く、殊に当地に唯一の郷学「明親館」が設置され、兵庫の文芸文事みな当地を中心に発祥し、当社は神戸市文教の祖神としての信仰を集めるに至った。
(境内掲示より)













所在地:兵庫県神戸市兵庫区東柳原町1-12
外部リソース
- 柳原天神社(ウィキペディア)