#156. 河内国魂神社(神戸市灘区)

北野天満天神社を後に、新神戸駅方面まで徒歩。道の両側にはパラスティン邸、英国館、北野神戸美術館などの見所があるが脇目も振らず、新神戸駅近くの布引バス停に。途中方向感覚を失った上に、某海外製地図アプリが行きたい方向とは逆方向のバス停を指し示し、言われるがままにバスに乗ったら逆方向へ。途中で気づき逆方向、赤坂通りを西に向かうバスに乗り換える。地図アプリが逆のバス停を示したのは、そのアプリの生まれが米国、自動車右側通行の国だからか….
五毛天神前バス停で降車すると目の前が河内国魂神社。
延喜式神名帳に『摂津国菟原郡(ウバラノコホリ) 河内国魂神社 鍬靫』と記載される式内社。ただ、創建時期や由緒は不明で、もともと五毛天神社と呼ばれていたこの神社が、延喜式神名帳の河内国魂神社と比定した根拠は残っていない。
菅原道真公は大己貴命と少彦名命とともに本殿に祀られる。境内では拝殿の前とお百度石の間を行き来し、お参りする老女。境内入り口右側に大きなイチョウの木があり、銀杏が「あの」臭いを放っている。御朱印をいただき、還向。鳥居の前からまっすぐと続く下り坂の道を歩き、水道筋方面に。

祭神

大己貴命を主祭神に、少彦名命、菅原道真公を配祀する(と思われる)。

別称

「五毛天神」

由緒

当河内国魂神社の創始は古来伊勢神宮開社の頃であると言伝えられていますが其の正確な年号は詳ではありません。
然し旧摂津国莵原郡にあっては、西宮神社、保久良神社と当社の三社が、生田神社、長田神社等と同様、延喜式神祇部に載っており、千数十年前既に由緒ある名社として崇敬されていたことが想像出来ますが、その後の沿革は定かではありません。
御祭神は大己貴命、少彦名命、菅原道真公であって、大己貴命(大国主命)は少彦名命と相協力して国土経営に当られ、その功特に著しく、又慈愛の心篤く、福徳円満、縁結びの神として、尚酒造、医薬の祖神として七徳兼備と称えられ広く尊崇されています。一説には摂津国造である凡河内忌寸の祖、天御影命を祀っていたのであろうと言われますが其の間の消息も永い年代を経た現在詳しくはわかりません。
降って延喜年間、菅原道真公が筑紫の太宰府へ謫遷の途次、御影の浜に船を留め、当時此の地に閑居しておられた師父尊意僧正と当社頭に於いて餞別せられた時の応対が極めて慇懃丁寧で、此の様をかいま見た村人達は其の徳を慕って菅公の歿後、其の霊を勧請合祀して爾後俗に五毛天神と称し現在に至っています。此の菅公は勧学の神、又文墨の神として広く神徳を讃えられていることは皆様ご存じの通りであります。
右の如く当社は元此の地方の大氏神として深く崇敬せられ、現在は五毛、畑原、上野の三地区が氏子でありますが、昔は稗田、鍛治屋、山田、篠原も氏子となっていました。
(『延喜式神社の調査』より)

所在地:兵庫県神戸市灘区国玉通3-6-5

外部リソース