JR西宮駅までは、松原神社から徒歩10分。駅前のショッピングセンター内の喫煙所で一服。その後手っ取り早くハンバーガーで遅い昼食を終わらせる。駅前で若い3人組が、彼らの同級生と思われる警察官と掛け合いをやっている。警察官をからかうそのやりとりが、おもしろい。
三人組「おっ、○○、元気?」
警察官「タバコもってない?」
三人組A「もってないよ」
三人組B「オレ、大麻持ってるわ」
三人組C「オレ、マリファナ持ってるわ」
JR線で尼崎駅に。尼崎駅の南口から長洲本通りを徒歩で南に。15分ほどあるいたところに、長洲天満宮。高校生が境内でひとりサッカーの練習中。質素な境内、社殿だが、清掃が行き届いていて、氏子に大切にされていることがわかる。菅原道真公が、大宰府に下向の道中、船で淀川を下り、神崎川を経て大物ヶ浦で潮待ちのため下船。砂浜を長洲の里に向かって散策している時、道真公の足元が砂で汚れていたのをみかねた村の老婆が、池の水で足を洗い清めたという伝承のある「菅公足洗之池」が一の鳥居の横にある。復元だろうか。社務所はなく、御朱印はセルフ式。社殿脇に御朱印とスタンプ台が置いてあり、御朱印代は賽銭箱にとのお願い書き。二冊目の御朱印帳の最後は、このセルフ御朱印。天満宮の目の前にある、尼崎バスのバス停「天満神社」でJR尼崎駅に戻る。もう一社と思ったが、体力的には限界か。無理をせず、そのまま新大阪駅に向かい、東京への帰路につく。
二日にわたる兵庫県の天神巡りはこれにて終了。
由緒
御祭神の菅原道真公は学問の神様として尊崇を集められ、道真公が筑紫の大宰府に左遷されて、この長洲の浦に舟を停め暫く寓居されたとき、村の主は道真公から
人しれず移る泪は津の国の
長洲を見えて袖ぞ朽ちぬる
と記された自画像を賜わったという。村人は宰相の徳を栄えて叢詩を作りその画像を奉祀したが、後世この画像を領主青山某が折りに強いて持出したところ凶事多く起こりために返却したと言い傳えがある。
境内地には菅公足洗いの池が現存し、本殿は一間社流れ造り、檜皮葦で慶長十二年の建立、桃山時代の重要な文化財である。
(境内掲示より)

















所在地:兵庫県尼崎市長洲本通3-5-1
外部リソース
- 長洲天満宮(ウィキペディア)
Additions
長洲には「鶏を飼わない」「ネギを作らない・食べない」といった菅原道真公にまつわるとされる習慣が伝えられている(『尼崎市史』第10巻)。
長洲で潮待ちをすることになった道真が、「ここはどこか」と村人に尋ね、村人は「ここは長洲と申します」と答えたところ、「大宰府に流される身が、しばらくとどまる場所もやはり『ながす』というのか」と嘆いて「人知れず おつる涙は 津の国の 長洲と見えて 袖ぞ朽ちぬる」と詠んだとも伝えられる。
これを聞いた村人たちは、道真公を気の毒に思い、あたりに育つ木や草までもがしおれたが、川上から流れてきたネギだけはしおれずにいたので、村の人はこれを憎らしく思って、それ以来、長洲の村ではねぎを作らなくなったと言われる。
いよいよ道真公が出航する日が明日に迫り、一番鶏の声を合図に出航と決まりました。その夜、道真をよく思っていない者が、鶏小屋のとまり木になっている竹に熱い湯を流した。足を温めるられた鶏は、夜が明けたのかと勘違いし、夜明け前に高く鳴いたため、道真公たちの船は出航していった。後になって、村人たちは鶏が勘違いして鳴いたことを知り、鶏を飼うことをやめてしまったとの言い伝え。(参考:道真の旅 梅の香と、歌と、人のやさしさと|<ひょうご伝説紀行 – 語り継がれる村・人・習俗 ‐>(ひょうご歴史ステーション)