大豊神社を後にして、白川通を北上、今出川通に出る。白川通今出川の交差点すぐそばに京カレーうどんの店「お多やん」を見つけ入店。カレーつけ麺をいただく。
食後、今出川通を西進。通りの左側には京都大学文学部の校舎。学園祭の準備か、多くの学生。20年以上も前にこの付近に来たのだがやはり思い出せない。記憶を蘇らないまま、京都御所の北の出雲路幸神社。住宅地の中に佇むこじんまりとした神社だが、本殿では、猿田彦大神を主祭神に、天之御中主日御神、可美葦牙彦舅尊、天照皇太神、皇孫瓊々杵尊、天鈿女命、大国主尊、少彦名太神、事代主命を相殿に祀る。また、境内右側には菅原道真公も祀られる末社が並び、多くの神が祀られている。創建は神代に及び、平安京の鬼門除守護神として社殿が造営され、平安遷都後初めての神社とも言われる古社。今の佇まいからこの歴史の長さは想像できないものの、どことなく力を感じるのは、この由緒の古さと祀られた神々の多さだろうか。
由緒
出雲路幸神社
当社の祭祀は遠く神代に始まり、天武天皇の白鳳元年御再興、後に桓武天皇遷都の地を山城に求め、 平安京創建の時(794)皇都の鬼門除守護神として都の東北の地に出雲路道祖神を御造営されました。 現在の社名に改めたのは、江戸初期現在地に祀られた時と思われます。
祖殿神の天細女の命は猿田彦大神と共に天と地を導き結ばれ、 当社に古くから伝わる道祖神信仰とも結ばれこの二神は縁結びの神として古くより霊験あらたかであります。
天細女の命は芸能の始祖としても祀られております。又天下一の踊り手と云われ、 歌舞伎踊りの創始者として有名な出雲の阿国は、ここ出雲路辺りの地で生まれ、 一時期当社の稚児、巫女として仕えました。
なお、当社の本殿の東側壁に祀る御幣を担ぐ猿の神像は御所の内裏の東北の隅に安置される猿が辻の神像と共に 皇都への邪鬼の侵入から護るために表鬼門に当たる東北の空を雲上から眺望する姿であります。
(境内掲示より)
天満宮
不明。











所在地:京都府京都市上京区幸神町303