桑原町から烏丸御池。京都市の中心に戻って来て、昼下がり、狭い道に観光客も溢れているということで、自転車をソロソロと走らせ、御池通の御所八幡宮。御池通に面した鳥居の正面には、境内末社。本社は鳥居をくぐって左側。境内は狭い。末社の赤い鳥居の向こうに、猿田彦社・金刀比羅社・大宮姫社の三社の祠と、初音稲荷社。天満宮は、赤い鳥居に向かって左側の祠。御神牛があることからこれが天満宮とわかる。狭い境内の中にさらに窮屈な状態で鎮座。
足利尊氏公が建武(延元)の乱の後に境内を整備した際は、440平米の境内に北野天満宮と同じ、八棟造の壮麗な社殿を誇った八幡宮だったが、その後の衰退や、太平洋戦争時の家屋疎開で現在のこじんまりとした社地に至る。戦時中、京都市は空襲による延焼を防ぐために、御池通と五条通に面した家屋を立ち退かせ、広い通りで市街地を四分割した。このため、空襲被害がほとんどなかった京都で、御池通と五条通がそれなりの広さを持っている理由となっているそうだ。
由緒
御所八幡宮
応神天皇、神功皇后、比売神の三神を祭神とする。
もと御池堺町西南角の御所八幡町にあったが、太平洋戦争中、御池通の強制疎開によってこの地に移された。
この八幡社が「御所」八幡宮と呼ばれるのは、室町幕府初代将軍・足利尊氏が自らの邸宅内の守護神として勧請したことに由来するという。
尊氏の法名によって等持寺八幡とも、また現在の地名から高倉八幡とも呼ばれ、親しまれてきた。
特に安産と幼児の守り神として有名で、左京区上高野の三宅八幡と並んで「虫八幡」と呼ばれ、世間の信仰を集めている。
(京都市による境内駒札より)
天満宮
不明。










所在地:京都府京都市中京区亀甲屋町596-1