松原通を西に走り、五條天神社。境内は角地だが、周囲にはマンションが建ち、境内には自動車が止められ、駐車場になっている。『義経記』で、陰陽師・鬼一法眼の謀略によって源義経が印地大将・湛海と闘う場、武蔵坊弁慶出生や義経・弁慶の出会いに関わる場所として描かれた神社であるが、このような風情は感じられない。「天神社」とあるものの本社に祀られるのは、大己貴命・少彦名命・天照大神の三柱で菅原道真公は無関係。本殿の背後に、境内社が並び、その中に菅原道真公を祀る筑紫天満宮が鎮座。
下向の際に気づいたが、境内の入り口に無造作に置かれた石灯籠の傘に星梅紋。筑紫天満宮に関わるものだろうか。
由緒
五條天神
祭神として、大己貴命・少彦名命・天照大神を祀る。
社伝によれば、延暦十三年(七九四)、桓武天皇の平安遷都に当たり、大和国宇陀郡から天神を勧請したのが当社の始まりといわれる。当初は「天使の宮」(天使社)と称したが、後鳥羽天皇の時代に「五條天神宮」と改めた。
創社の頃は社域も広く、社殿も広壮であったが、中世以来度々火災に遭い、元治元年(一八六四)の蛤御門の変で社殿は焼失した。現在の社殿は近時の再建である。
当社は古来、医薬・禁厭(まじない)の神として広く崇敬され、今なお節分には、厄除け祈願のために参詣する人が多い。
例祭は、毎年五月十日に行われる。
(京都市による駒札より)
筑紫天満宮
由緒不明。「筑紫」から九州の天満宮からの勧進と想像される。また、大阪市北区の元筑前橋にあった黒田藩大阪屋敷に奉祀され、明治5年(1967年)に大阪市西成区の生根神社に奉遷されたのが「筑紫天満宮」だが、当社との関係があるかどうかは不明。
















所在地:京都府京都市下京区松原西洞院西入天神前351
外部リソース
- 五條天神社 (京都市)(ウィキペディア)