神明神社から綾小路通を西、新町通を南下、仏光寺通を西。6月の京都菅公巡りで、近くの菅大臣神社に参拝しながらも、見落としていた北菅大臣神社。
前回の京都巡りの際、「菅家邸趾」の石標には気づいていたが、その石標の先の道の突き当たりに、住宅と肩を並べるかたちで北菅大臣神社。境内と呼べるような場所もなく、鳥居の脇には自転車が止められ、日常生活の一部になっている印象。鳥居の扁額には、「紅梅殿」の文字。この一帯が、多くの文章生・文章得業生を輩出した山陰亭と呼ばれた書斎、のちに菅家廊下と呼ばれる中門廊のあった菅原氏の私邸と比定されるところとはすぐには想像できない。
由緒
祭神は道真公の父・菅原是善。菅原家の邸宅紅梅殿のあったところで、紅梅殿社とも呼ばれる。南の菅大臣神社と地続きの同一境内にあったが、鎌倉時代末から南北朝時代、菅大臣神社と北菅大臣神社に分かれる。
菅原道真公が太宰府に左遷される時にここで、「東風吹かばにほひ起せよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ(春を忘るな)」と詠んだ場所とも伝えられる。







所在地:京都府京都市下京区菅大臣町 下京区菅大臣町190
外部リンク
- 山陰亭(ウィキペディア)
Additions
清少納言は『枕草子』の第二〇段で、すばらしい邸宅の一つとして紅梅殿を挙げている。
家は近衛の御門。二条。みかゐ。一条もよし。染殿の宮。せかゐ。菅原の院。冷泉院。閑院。朱雀院。小野の宮。紅梅。県(あがた)の井戸。竹三条。小八条。小一条。