#26. 北野神社(ときわ台天祖神社境内)

リノベーション中の池袋氷川神社を後にして、再び下板橋駅から東武東上線乗車。仕事で待ち合わせのあるときわ台に向かう。約束の時間まではまだ2時間近くあるので、駅のすぐ南側にある天祖神社へ。広々とした境内は、木々の陰でヒンヤリと涼しい。北野神社は境内に並ぶ5つの末社のひとつ、向かって右から二番目の社。社の中には雛人形のような人形が二体。御神体であろうか?
御朱印を頂き、太平洋戦争のきずが残る狛犬を見て、境内を後にする。これにて本日の朝活的菅公巡拝終了。駅前で喫茶店でも探して、仕事を始めよう。

由緒

天祖神社

御祭神 天照大御神。
当社の創建は不詳であるが、当社は近一帯が豊島氏によって開拓されたことを考えると室町時代には神社の形態をなしていたと思われる。江戸時代には神明社と称し、旧上板橋村の鎮守となっている。
境内にある狛犬や絵馬などの奉納者に川越街道上板橋宿の住人の名が見え、宿場と深い結びつきがあった。
寛政9年(1793)、蜀山人が当社を訪れた時の記録が残っているが、それによると、「神明宮ありて古老松杉枝を交えて大なる柊もあり宮居のさまもわら葺きにて黒木の鳥居も神さびたり…」と書き記している。
明治5年村社天祖神社と改称し今日にいたっている。境内にある弘化3年の狛犬に、円形のきずがあるが、これは昭和20年6月10日の空襲による爆弾の半片の跡。6月10日の空襲を伝える数少ない遺構の一つである。(板橋区教育委員会による境内掲示より)

北野神社

『北豊島郡史』には「末社に伊勢神社北野神社天神社稲荷神社及び棲名神社あり、伊勢神社は初め境内末社たりしを明治六年遷祀せるところなり」とあるが、北野神社の由緒は不明。

所在地:東京都板橋区南常盤台2-4-3

外部リソース

おまけ

境内掲示にもある太平洋戦争の空襲で円形のきずを受けた狛犬とそのきず
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