菅公巡拝を始めて15日。参拝した社は27社。今日は明治35年(1902年)に出版の『風俗画報』臨時増刊号掲載の「菅原大神千年大祭図会」から東京北西部にある社を訪ねる。まずは根津神社。文京区に暮らして17年、散歩で何度も訪ねている神社。菅原道真公が祭祀されているとは知らなかった。しかし、境内をひと通り巡るも、菅原道真公を想起させるものは見つからない。
祭神
主祭神、須佐之男命、大山咋命、誉田別命とともに大国主命、菅原道真公 を配祀。
別称
「根津天神」
由緒
1900年ほど前に日本武尊が千駄木に創祀したとされる。文明年間(1469年-1486年)には太田道灌により社殿が造られた。
万治年間(1658年-1661年)に同所が太田氏の屋敷地となったため東方に移り、のちさらに団子坂上(現文京区立本郷図書館周辺、元根津)に遷座した。
宝永2年(1705年)江戸幕府第5代将軍徳川綱吉が兄綱重の子・綱豊(甲府藩主。のちの第6代将軍・家宣)を養嗣子に定めた。綱豊が江戸城に移ると、当社が家宣の産土神とされていたことから、綱豊の屋敷地(旧甲府藩邸、現在地)を当社に献納して普請を開始した。社殿は宝永3年(1706年)に完成し、同年遷座した。
「根津権現」の称は明治初期の神仏分離の際に「権現」の称が一時期禁止されたために衰退したが、地元では現在も使われる場合がある。単に「権現様」とも称される。文学作品では「根津権現」として出てくることが多い。(引用:ウィキペディア「根津神社」)
菅原道真公は本殿合祀と思われるが、その由緒は不明。『江戸名所図会』によれば、「祭神 素戔嗚尊(御産土神)。相殿 左山王権現(御城鎮守神)。右八幡宮(源家祖神)」とある。この三柱の神は、現在、根津神社の主祭神とされる「須佐之男命・大山咋命・誉田別命」に一致するが、現在相殿とされる大国主命・菅原道真公に関する記述は同書中には見当たらない。
一方、文政12年(1829年)に纏められた『寺社書上』には、「上野尾天満宮」の記述があり、これが現在の根津神社に祀られている菅原道真公を祀っていた末社と思われる(くずし字が読めないので詳細はわからない)。















所在地:東京都文京区根津1-28-9
外部リソース
Additions
『江戸名所図会』根津権現社(国立国会図書館デジタルコレクション)