#29. 五條天神社

根津神社で天神信仰の名残を見つけることができず、また、途中千駄木で立ち寄った中華料理店の味噌ラーメンもイマイチで、少しモヤモヤした気持ちで、上野公園方面。池の端から上野の山を登り、五條天神社に途中、上野東照宮のほうに向かってしまったので、少し遠回り。まだまだモヤモヤ。五條天神社につくと、御神灯には、粟穂紋と星梅鉢の神紋が、社名の両側にそれぞれ描かれている。梅紋があると、そこが天満信仰の場所ということを実感できる。社名に「天神」が付くもののここの主祭神は、大己貴命(大国主命)と少彦名命。どちらの神も、「国つ神」なので、やはりこの「天神」は「菅原道真公」を指すのだろうか。

祭神

主祭神に大己貴命(大国主命)、少彦名命を、菅原道真公を相殿に配祀。

別称

「下谷天神」

由緒

第12代景行天皇の御代、日本武尊が御東征の際、上野の忍岡で薬祖神二柱の大神が奇瑞を現し給い難を救われたので、ここに両神をお祀りしたと伝えられ昭和65年には御鎮座二千八百八十年大祭が行われる、東都屈指の古社であります。江戸初期、社地は神職の瀬川屋敷(上野公園下・旧五條町)に遷り、御創祀に近い現地には昭和3年9月に御遷座になりました。(境内掲示より)

菅原道真公合祀の由緒は、『寺社書上』から読み取れ、「下谷天満宮」とも呼ばれていた。

下谷不唱小名 五条天神社、拝領地508坪間口27間2尺奥行南ノ方23間北ノ方19間裏間口21間3尺。
往古上野山内天神山(俗ニ摺鉢山)ニ有之候処、先祖瀬川昌佐義日光山御縁起ノ儀、寛永15年青蓮院宮尊純親王江戸御参府之砌、御同伴仕参府致申候。
大猷院様御目見被、仰付時服銀子拝領仕、帰京可仕之所、天海僧正江戸ニ逗留致申候様、上様ヘ被、仰上候。其後、大猷院様御夢想開之御連歌御会ニ被召、加御連歌師被 仰付、只今之所ニ而寛永15年11月朔日、地面拝領仕、只今迄正月11日御吉例之御連歌御用相勤来申候。年々時服銀子御扶持方被下置候。天神別当職之儀は寛永18年、大猷院様上野御成之節、昌佐住居有之候後、天神山之天神社昌佐倅時春ニ御預被成候様、天海僧正被仰上時春別当職仕来候。御連歌師ニ而別当兼帯致申候。
其後明暦3年迄上野山内天神山下ニ住居申候所、明暦3年、厳有院様御代、天神山之天神社上野広小路ヘ引移申候様被仰出、引料として金500両被下置候。其後元禄10年常憲院様御代、松平薩摩守殿中堂御建立之砌、天神社只今之所ニ引移申候様被、仰出候。松平薩摩守殿御手伝之次手天神社建申候地所ヘ上野天神山下土を引取地行候様公儀被 仰付外ニ金100両被下置候。追而社地見立願可出旨、松平伊豆守殿被仰渡候。其後相応之地所も無御座、只今迄願出シ不申候。是ニ仍而社地ニ而ハ無御座、連歌師ニ而拝領地江拝領地江仮ニ社頭建置申候。(引用:『寺社書上』)

所在地:東京都台東区上野公園4-17

外部リソース