上野公園から昭和通りに出て入谷方面。コーヒーが飲みたいので、喫茶店やコーヒーチェーン店を探しながらゆっくりと自転車を漕いで行くものの店が見つからない。気が付いたら次の目的地の小野照崎神社。さほど広いと思えない境内だが、主祭神・小野篁、相殿・菅原道真公を祀る本殿に7つの末社。さらに、富士塚。15柱もの神様が祀られている。いつも地元の人と思われる人が一人、二人と参拝され、境内から人影が絶えることがない。参拝、御朱印をいただき境内を後にする。鳥居で大きなマスクをした女子二人とすれ違う。なんとなく芸能人風。この神社の主祭神・小野篁は芸能の神としても信仰され、渥美清が寅さんの役を得たというエピソードもある。もしかしたら、芸能人志望、あるいはどこかのグループアイドルのだれかなのかもしれない。
祭神
主祭神に小野篁、菅原道真公を相殿に配祀。
別称
「渡江天神」
由緒
往昔祭神御東下の砌、上野照崎の地に御遺跡を留め給ひしを地民渇望して上野殿と尊称し、後に照崎の地名をとりて小野照崎大明神を尊崇奉斎するを鎮座起源とす。其後社殿大破せしを江戸太郎重長領主となるに及び武運を祈りて再建し、星霜移り寛永年中上野東叡山草創の砌坂本村長左衛門稲荷境内(境内地)に遷祀奉りし由緒正しき神社にして現社殿は慶應3年の御造営にて大正大震火災竝に大東亜戦争にも聊の被害も蒙る事無く氏子十八ヶ町の産土神として御神経癒、顕著也。御祭神小野篁命は敏達天皇の苗裔にして嵯峨天皇に仕へ博学俊才を以て知られ殊に詩歌に長じ淳和天皇天長年中には令義解を選し、下野国の任を蒙りて足利に至るや我国学校の創始たる足利学校を創立、孔子像を祀り国人に書経を教ふ。亦百人一首の「わだの原八十島かけてこき出ぬと人には告げよあまのつり舟」の詠人としても知らる。御配神菅原道真命に就いては江戸二十五社大神の一つにして渡会天満宮を伝承し菅原尊像を回向院より遷祀す。
(境内掲示)
小野照崎神社の祭神は、平安初期の漢学者・歌人として有名な小野篁である。創祀の年代は不明だが、次のような伝承がある。篁は上野国司の任期を終え、帰洛の途についた際、上野照崎(忍岡、現在の上野公園付近)の風光を賞した。仁寿2年(852)篁が亡くなったとき、その風光を楽しんだ地に彼の霊を奉祀した。その後、江戸時代をむかえ、寛永2年(1625)忍岡に東叡山寛永寺を創建するにあたり、当社を移転することとなり、坂本村の長左衛門稲荷社が鎮座していた現在地に遷した、というものである。また、一説には、忍岡から孔子聖廟が昌平橋に移った元禄4年(1691)頃に遷座したのではないかともいう。
現在の社殿は慶応2年(1866)の建築で、関東大震災や東京大空襲などを免れた。また、境内には、富士浅間神社・御嶽神社・三峰神社・琴平神社・稲荷神社・織姫神社、さらには庚申塔が現存する。
例大祭は5月19日で、3年に一度、本社の神輿渡御が行われる。
(台東区教育委員会)













所在地:東京都台東区下谷2丁目13−14
外部リソース
Additions
- 無名だった渥美清が、断煙の断ちものとともに仕事の願掛けをしたら寅さんの役のオファーが来たことで知られるこの神社。この手の話は都市伝説ということもあるので、出どころをちょっと調べてみた。ネットの情報だけでわかるのは、2010年に「人志松本の○○な話 1周年記念『絶対に為になる話スペシャル』」で千原ジュニアが紹介したエピソードということ。で、この千原ジュニアの話は何に依拠しているはず。渥美清の人物伝にでも出てくるのだろうか。
- 小野照崎神社の神紋は、巴と梅鉢を重ねたもの。こういう混合の神紋、そうそうなさそう。
https://flic.kr/p/Hpo4nw
『江戸名所図会』小野照崎明神社(国立国会図書館デジタルコレクション)