#35. 天満宮(千住神社境内)

氷川神社をあとにして、昭和通りにでる。昭和通りを少しだけ南下し、墨堤通りの手前で民家に入る。路地裏を通り千住神社に。本殿右側にならぶ末社のひとつに天満宮。パラパラと参拝客が訪れているが、多くの人の目的は、本社と千住七福神の「回転する台座」にのった恵比寿像、恵比寿のお宮の「幸福神社」のようである。

由緒

千住神社

およそ一千年前、この地は千崎という丘陵で、原始的森林地帯であった。やがて開拓民がここに住みつき、延長4年(926)に稲作の神を勧請し、石造の祠を建て、千崎稲荷神社として五穀の豊作を祈願していた。
弘安2年(1279)氷川神社を勧請したので、二つの神社が原始林の中に並び、「二ツ森」とも言われて、住民の信仰を集めた。
江戸時代の初期、日光街道が開通すると、千住は初宿となり、宿場の西方にある神社ゆえ、西の森と唱えられた。明治6年千崎稲荷神社と氷川神社を合祀して、西森神社と号し、大正4年に千住神社と改称した。
祭神は、須佐之男命と宇迦之御魂命の二神を祀り、明治7年に区内唯一の郷社に列せられた。当社殿は、昭和20年4月13日の空襲で焼失したが、氏子の厚い信仰と熱誠により昭和33年9月、現在の社殿(権現造り・流れ作り・神明作りの三者混合)が完成した。(引用:足立区教育委員会掲示)

天満宮の由緒は不明。足立区立郷土博物館がまとめた『足立風土記』には、「明治6年に末社として北野社」「他に片葉天神社を合祀」との記述があるらしいが(未確認。「天満宮巡拝」より)、『足立風土記』も『足立風土記』が依拠する資料にも直接当たってない。なお、片葉天神は、関屋天満宮の別称で、著者の誤解があるとも推測される。

所在地:東京都足立区千住宮元町24-1

外部リソース