#37. 北野神社(下板橋氷川神社境内?)

p1010071_27008982803_o空も晴れ、湿度もそれほど高くなく、自転車ポタリング日和。白山の住宅街から巣鴨に抜け、旧中山道を通って、最初の目的地、下板橋の氷川神社に。境内は広く、本殿向かって右側には、幾つもの末社と富士塚が群立している。この中から菅原道真公を祀ったと思われる社を探してみたが、「天神」「天満宮」「北野」といった文字は見つからない。考えにくいけどもしかしたら本殿相殿だろうか?
境内には、こどものお宮参りの家族がちらほら。
境内の隅に転がっていた石像が、笏を持っているようにも見える。もしかしたら北野神社由来のものなのかなと妄想する。

由緒

氷川神社

御祭神素戔鳴尊、稲田姫命。
創建は第83代土御門天皇の元久3年(1206)頃、この辺りの領主豊島左衛門尉経泰が武蔵国一の宮氷川神社から御分霊を、石神井河畔の景勝の地である当地に勧請したのに始まると伝えられている。
江戸時代は板橋宿の鎮守として広く信仰を集め、今日に至っている。
当社は明治20年に火災にあい、文書や社宝等を焼失した。社殿は翌年再建されたが、昭和20年4月13日の空襲により再び焼失した。戦後昭和29年に御造営奉賛会が結成され、昭和32年に現在の社殿が竣工した。(板橋区教育委員会の掲示より)

北野神社

本殿に向かって右側にある末社の中のひとつに北野神社があると思われるがどれが北野神社であるかははっきりとしない。昭和20年の空襲により被害を受けたと思われる。『北豊島郡誌』には、以下のような記載があり、もともとは加賀藩下屋敷(加州公下邸)に合祀されていた二柱とともに、遷座された模様。

一拝して左の方、殿背に出づれは石神井の清流眼下に淙々たり、木立の間より遠く緑野を展望す、風光清爽真に神域たり。付近に末社八雲神社、同諏訪神社、楽殿等ならぶ、楽殿は明治卅三年中改築せるものなり、楽殿の北に大典記念碑及び天祖神社あり、この社築山の上にありて石級十数級、前に石狛を双置す、社殿遒麗なり、傳へいうもと加州候下邸の鎮座神にして、天祖、八幡、菅公の三神を合祀す文化年中字平尾の鎮守と改む、後久しく豊田氏の邸地にありしを、御大典記念の為め、有志胥謀りて此に奉遷せるなり。(『北豊島郡誌』)

加賀藩藩主前田家は菅原氏の出自を称していて、前田家の家紋が天神の神紋と同じ梅鉢紋であるのも、先祖が菅原氏であるためとされる。

所在地:東京都板橋区氷川町21-8

外部リソース