中山道に出て志村坂下に出て、高島通りを通って、高島平方面。お昼時でお腹も空いてきたので、途中の西台で見つけた「究極J’sラーメン」で和風つけ麺を食べる。ちょっとエグミを感じるが、嫌いな味じゃない。コンビニで水分を調達して、徳丸北野神社に向かう。この神社は、6月2日の朝活で参拝を断念した神社。開けた広い境内はのんびりとしたい場所。あの時は参拝を断念していてよかった。境内をぶらぶらしながら、ゆっくりと参拝。
御朱印をいただきに上がったら、前の参拝社が境内社の御朱印も含めた五社分の朱印を受けていた。
祭神
主祭神に菅原道真公、猿田彦尊、保食命を相殿に配祀。
別称
徳丸北野神社
由緒
当社所蔵の「武蔵国豊嶋郡徳丸郷天神宮紀」によれば「當社は天満天神なり 往昔 此の処ろに古木の霊梅あり
一條院正暦年中(九九〇年〜九九四年)に里人等大勢の者が疫癘の癒えんことを祈斜し謹拝して去った
将に其の効しを得るなり 斯く祈ることにより奇妙な効果が得られたことは すなわち是の誠の美精に徹する所ろ 鬼神の物に感ずる所以にして奇怪と云うに非ず
およそ 梅は聖廟天神の珍愛する所なり これを以て念いを山州葛野郡に通わし 當里に祠を設けて天満宮と号す
人皇第六十六代一條院長徳元年乙羊(九九五年)正月一一日御幣帛を捧げ 大前に田夫の業を以て俳優となし、神威を安んじ奉る 今の田阿曽美の祭り是れなり」とある 江戸時代には 天神社又は天満宮の社号であったが 明治六年から北野神社と改称された(境内掲示より)















所在地:東京都板橋区徳丸6-34-3
外部リソース
Additions
『北豊島郡誌』には「當社の構造は太宰府の天満宮に擬したるものにて、古来附近に著聞せり」とあるので、両社の社殿の写真を並べてみる。唐破風を模しているのか(写真上が徳丸北野神社、写真下太宰府天満宮)。