今日の最後は、日枝神社日本橋摂社。松島神社から裏通りを通って、茅場町方面に向かうが、途中でコーヒーが飲みたくなり、蛎殻町交差点のSTREAMER COFFEE COMPANY。アイスコーヒー、普通にうまいし、角地という立地条件を存分に使った明るい店構えがいい。ひと休みの後、再び自転車を走らせ、数分で日枝神社日本橋摂社到着。
赤坂日枝神社は結婚式を挙げた神社で、今のオフィスがある地域の氏神様。社運隆盛祈願で5月に参拝したばかり。縁のある神社だが、境外摂社があることは知らなかった。天を力強く仰ぎ見る狛犬が印象的。御朱印の初穂料は500円と相場の300円に比べると高めだが、根付けとしおりをいただく。
祭神
主祭神に大山咋神、相殿に浅間大神、稲荷大神、菅原道真公を配祀。
由緒
日枝神社
千代田区永田町の旧官幣大社・日枝神社の摂社・御旅所である。天正年間(1573〜92)より、日枝神社の祭礼に八丁堀北嶋祓所の御旅所まで神輿が船で神幸したことを起源とする。寛永年間、現社地が御旅所に定められた。
明治十年(1877)、日枝神社と改称して無格社となった。大正四年(1945)、本社の日枝神社が官幣大社に昇格したのに伴い、本社の境外摂社とされた。関東大震災の後、昭和三年(1928)に社殿が造営された際、境内末社の北野神社・稲荷神社・浅間神社の祭神を本殿に合祀した。
日枝神社日本橋摂社
茅場町にあり。遥拝の社二宇並び建てり。寛永年間この地を山王の御旅所に定めらるる、といへり(一宇は神主樹下氏持ちなり。一宇は別当観理院持ちなり。)隔年六月十五日御祭礼にて、永田馬場の御本社より、神輿三基、このところに神幸あり。仮に神殿を儲け、供御を献備し、別当は法楽を捧げ、神主は奉幣の式を行ひ、夜に入りて帰輿なり。その行装、榊・大幣・菅蓋・錦蓋、雲のごとく、社司・社僧は騎馬に跨がり、あるいは輿に乗じ、前後に扈従す。諸侯よりは神馬・長柄の鎗等を出だされて、途中の供奉厳重なり。また、氏子の町々よりは、思ひ思ひに練物、あるひは花屋台・車楽等に、金襴緞子などのまん幕をうちはへ、おのおのその出立花やかに、羅綾の袂、錦繡の裔をひるがえし、粧ひ巍々堂々として、善美を尽くせり。この日、官府の御沙汰として、神輿通行の御道筋は、横の小路小路は矢来を結はしめて、往来を禁ぜらる。まことに大江戸第一の大祀にして、一時の壮観たり。(引用:『江戸名所図会』)
天満宮
同じ境内にあり。社司諸井氏奉祀す(二月・八月ともに二十五日を祭日とせり。神像は画幅にして、寛永年間柳営に奉仕の春日局、大樹より拝受せられしを、山王の神主日吉右京進へ附与あり、その後、諸井氏請ひ得て、ここに勧請なし奉るとなり。)(引用:『江戸名所図会』)
別称
「茅場町天神」、「楓川天神」










所在地:東京都中央区日本橋茅場町1-6-16
外部リソース
- 日枝神社 (千代田区)(ウィキペディア)* 日本橋摂社に関する記述なし
- ご祈願・お参りは東京・赤坂にある日枝神社 * 日本橋摂社に関する記述なし