#51. 綱敷天神社御旅社(大阪市北区)

菅公巡拝、初関西ラウンド。仕事で大阪に。午前中のお役目を終えて、ランチタイムは天神巡り。午後は再び仕事だが、運のいいことに、ランチタイム時間の常識1時間でも回れる天神は3社ほどという好立地に大阪のオフィス。まずは、阪急梅田駅にほど近い綱敷天神社御旅社。周囲の商業施設に土地を譲ったのか、狭い土地を使うために急な参道階段を登った高い位置に張り付くように本殿がある。狭いながらも梅紋、撫で牛があり、天神社にあるといわれるモノが一通り揃っている。

由緒

当社は社名を「綱敷天神社 御旅社(つなしきてんじんしゃ おたびしゃ)」と称し、今から一千百年ほど昔の、延喜元年(西暦九〇一年)に、平安時代の学者であり政治家でもあらされた菅原道眞公が無実の罪をきせられ京都より九州の太宰府へと左遷された際に、この梅田の地で今を盛りと咲いていた紅梅に目を留められ、それをご覧になるため、乗ってこられた船の艫綱(陸と船をつなぐ綱)を円く円座状に敷いてご覧になられました。その由縁より、「綱を敷く」という意味から「綱敷天神社」と称され今に至っております。
「御旅社」といいますのは、神様の別荘のようなもので、大阪市北区神山町に御鎮座されます綱敷天神社御本社の神様が夏の渡御祭の際に、地元梅田の町が平穏であるかどうかご覧になられ、その時にお休みになられる為のお社が御旅社です。この御旅社は元々御本社の南にあり、古くには「梅塚天神」とも称され、菅原道眞公がご覧になられた紅梅がありましたが、明治の初年頃にこの梅田・茶屋町の氏神さまとしてお迎えしたいと土地の寄進があり、現在の地に鎮座致しました。故に臨時で設けられる普通の御旅所とは異なり、常に御祭神が鎮座まします御旅所という事で、当神社では正式には「御旅社」と申します。
現在の社殿は昭和五十九年に旧社殿の老朽化と、梅田の地を幾度も襲った淀川の洪水から御神体をお守りするために立て直されたもので、今も昔も変わらず、梅田の街を行き交う人々を見守られておられます。(綱敷天神社ホームページ)

梅塚天神(むめづかてんじん)
同所(北野村)常安寺にあり
ここに古梅ありて菅神の御愛樹といふ。紅梅にして樹下に天満神の祠あり
この寺は初めは行基大士の開基にして、今は慈霊山常安寺といふ。天台宗京師梶井御門跡に従ふ(『摂津名所図会』巻ノ四)

所在地:大阪府大阪市北区茶屋町12-5

外部リソース