#56. 大阪天満宮

前日同様昼休みを利用して、大阪天満宮に。雨が激しくなってきたのと、大阪天満宮は規模の大きい神社なので、現地での時間を十分確保し、1時間で戻ってこれるように、会社の前からタクシーを拾って向かう。ドライバーの方に「大阪天満宮に」と告げたところ、天満宮の参道ではなく、京阪国道の天神橋筋商店街の入り口で降ろされる。商店街を通り裏参道から境内に。予想通りの広い境内で、登龍門、参集殿といった立派な付属施設、たくさんの摂社・末社、大小の御神牛、果ては、菅公の生涯を博多人形だ再現した、菅家縁起なる展示もある。これは1時間ではとうてい足りない。参拝、御朱印をいただき、雨で足元の悪い中境内を一周。楼門から拝殿を眺めて、社を去る。これは、もっと時間をとって参拝しなければならない。
帰りのタクシーを捕まえるとき、4年前に友人を亡くしたとき、仏前に手をあわせる前日に泊まったホテルがすぐ近くだったことを思い出す。
ほぼ1時間でオフィスに戻り、菅公巡拝、大阪初ラウンド終了。

由緒

白雉元年(650年)孝徳天皇様が難波長柄豊崎宮をお造りになりました頃、都の西北を守る神として大将軍社という神社をこの地にお祀りされました。
以来この地を大将軍の森と称し、又後には天神の森ともいわれ、現在も南森町北森町としてその名を残しております。
平安時代延喜元年(901年)当宮の御祭神である菅原道真公は太宰府へ向かう途中この大将軍社をお参りになり旅の無事を御祈願なされました。
その後道真公は、太宰府において、お亡くなりになり、その50年あまり後の天暦三年(949年)この大将軍社の前に一夜にして七本の松が生え、夜毎にその梢を光らせたと申します。
これをお聞きになりました村上天皇様は、勅命によって、ここにお社をお建てになり、道真公のお御霊を厚くお祀りされました。
以来、一千有余年、氏子大阪市民はもとより広く全国より崇敬を集めています。
(大阪天満宮ホームページより)

所在地:大阪府大阪市北区天神橋2-1−8

外部リソース

Additions

『摂津名所図会』天満天神宮(国立国会図書館デジタルライブラリ)

天満宮(てんまんぐう) 天満にあり。初めは当所北の方明星池のほとりにありて、旧地を露秋里といふ
祭神大自在天神(社説に云符、昔は天満山とて広き叢林あり。天暦の頃その林に霊光ありて諸人これを奇異とす。すなはち里人に神託ありて、難波の梅を慕ひてここに影向すと告げあれば、これを奏して菅神を祭る。天満の市中繁花となれば、産土神として寛文年中今の地にうつしける)

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