#57. 北野天満宮

前日の金曜日、その週の仕事を大阪で終え、そのまま京都に移動。二条城近くのゲストハウスに自腹で延泊。目的は菅公巡拝京都ラウンド。今にも雨が降り出しそうな曇天だが、レンタルサイクルを借りる。どこから巡拝を始めるか思案を巡らすも、京都の天満宮と言えば、まずは北野天満宮。全国の天満宮の勧進の大本は、北野天満宮か太宰府天満宮。地理的にも効率的に巡拝できる位置なので北野天満宮に決定。
東門前に自転車を乗り付けると、露天や蚤の市が立っている。ゲストハウスを出るときに、カウンターの若い女性に「今日はどちらに行きはるんですか?」と聞かれ、「天満宮巡りをしようと思ってまして」と答えたところ「今日は天神さんですね」と返されたことを思い出す。日付25日の今日は天神様の縁日。京都の人は「天神さん」と呼ぶ。また、旧暦ながら承和12年6月25日は、菅公の誕生日とされる日のひとつ。菅公が育ち、学び、出世街道を走り、大宰府左遷後は無実の帰還を待ち望んだ京都での天満天神巡りの初日が天神の縁日。太宰府天満宮と双璧をなす北野天満宮からスタートとは縁がある。
境内は、老若男女でごった返す。縁日、メジャー観光スポットというだけでなく、夏越払の時期というのもあるのだろう。たくさんの御神牛、奉納品を見つつ、本殿に参拝し、御朱印をいただく。前日の大阪天満宮同様、きちんと見ると、数時間は要しそう。これからも京都に来ることがあれば、参拝することとしよう。

祭神

菅原道真公を主祭神に、中将殿(道真公長子・菅原高視、吉祥女(道真公正室・島田宣来子)を相殿に祀る。

由緒

北野天満宮の創建は、平安時代中頃の天暦元年(947)に、西ノ京に住んでいた多治比文子や近江国(滋賀県)比良宮の神主神良種、北野朝日寺の僧最珍らが当所に神殿を建て、菅原道真公をおまつりしたのが始まりとされます。その後、藤原氏により大規模な社殿の造営があり、永延元年(987)に一條天皇の勅使が派遣され、国家の平安が祈念されました。この時から「北野天満天神」の神号が認められ、寛弘元年(1004)の一條天皇の行幸をはじめ、代々皇室のご崇敬をうけ、国家国民を守護する霊験あらたかな神として崇められてきました。
江戸時代には、各地に読み書き算盤を教える寺子屋が普及し、その教室に天神さまがおまつりされたり、道真公のお姿を描いた「御神影」が掲げられて、学業成就や武芸上達が祈られてきました。このことがのちに「学問の神さま」、「芸能の神さま」として皆さまに広く知られるようになった所以です。(北野天満宮ホームページより)

所在地:京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町

外部リソース

Additions

『都名所図会』天満天神宮(国立国会図書館デジタルライブラリー)

天神宮(てんまんてんじんぐう)中殿、菅丞相、中将殿 東間、菅三品嫡子、吉祥女 西間、右大臣北の方。
菅家の伝記はあまねく世の人の知りたることなれば委しく記さず。
祖は天穂日命の苗裔にして、歴世ただしく、是善公の御子、右大臣、名は道真と申し奉り、いとけなうして穎悟すぐれ、貞観四年に文章生に補し得業生となり、同じく十二年に対策及第し、十八年に侍従にすすみ、元慶六年渤海国の使者鴻臚館において右大臣の詩藁を見て称しけるは、「風製白楽天に似たりける」とかや。
仁和年中に讃岐の国守に任じ、寛平五年に参議となり、六年九月に吉祥院にて五十賀を修しけり。
九年に中納言をへて大納言にのぼり、大将をかね、昌泰二年二月右大臣にすすみ、右大将なりき。
このとき左大臣・左大将藤原朝臣時平とともに上皇の勅をうけ、天子を補佐し奉りぬ。
はじめ帝十四にしてなほも聡明にて、位につきたまへり。一日朱雀院に行幸のをりふし、上皇帝に語りたまひけるは、「右大臣年高く才賢し、専ら任用せらるべし」となり。右大臣かたく辞したまふ。
左大臣おほいにうらみ奉り、妹の皇后なりけるをかたらひ、かずかず讒せしにより、つひに昌泰四年正月二十日太宰権帥に左遷したまふ。
それより三とせすぎ、延喜三年二月二十五日、配所にて薨じたまひ、安楽寺に葬り奉る。御年五十九歳なり。
その後、菅霊にてさまざまのことありしかば、延長元年に左遷の宣旨をすててもとの官にかへし、正二位を贈りたまへり。
天慶三年七月、菅霊右京七条の文子といふものに御託宣ありて、「北野右近の馬場に棲まん」とのたまふ。
また近江国比良社の禰宜良種に託したまひけるは、「大内の北野に一夜に千本の松を生ぜん、社をば天満天神と崇むべし」となり。
ここにおいて朝日寺の僧最珍、右京の文子等と力を合はせ、霊祠を作り、天徳三年右大臣師輔なほも神威をうやまひ、巍々たる大廈をあらためいとなみたまふ。いまの北野宮これなり。
一条院の卸芋正暦四年五月に、勅使を宰府の安楽寺につかはし、太政大臣正一位を贈りたまへり。
末社に船の宮といふは、かの一夜の松なり。この祠に神秘のつたへありとかや(巳上、伝意)。二月二十五日は菜種の御供の御神事あり。七月六日は御手水とて参詣入内殿に入り、神宝虫干しあり。九月四日、当社の祭礼なり。

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