北野天満宮を後に、千本通、上御霊前通を通って北東方面。府道38号線に出たところに目的の水火天満宮。社地隣の公園(空き地?駐車場?)に自転車を停め境内に。てっきり表参道と思っていた参道は横参道のようで、この表参道の突き当たり左に社殿がある。境内には、菅公が降臨したとの伝えのある「登天石」も。
由緒
祭神は、平安時代の政治家であり、漢詩人・学者としても有名な菅原道真公である。由緒書・家系図には、『洛陽一条上る下り松の霊地に、雨水雷火の難を消除の守護神として菅公を祭る為に、延暦寺の尊意僧正に勅命ありし、日の本最初の天満宮の勧請の最初なり』とある。
都の水害・火災を鎮める為に、第六十代醍醐天皇の命じられた、道真公の師でもあった延暦寺の尊意僧正(第十三代天台座主 法性坊尊意僧正)によって、延長元年(九二三年)六月二十五日、『水火の社天満自在天神宮』という神号の勅許を醍醐天皇より賜り、水火社天神天満宮として、菅原道真公の神霊を勧請し建立された。
水火天満宮が『日本最初の天満宮』と号する所以は、右記のように『天皇の勅命にて神号を賜り、天満宮とした事』及び『初めて道真公の神霊を勧請した事』による。
文明四(一四七二)年九月十日、第百四代後土御門天皇の行幸があり、例祭の日を十月十日(旧九月十日)と改めた。
その後、第二次世界大戦など幾多の変遷を経て、昭和二十五年(一九五〇年)、堀川通が重要幹線道路となる拡張工事の際、堀川通りを挟んだ西側の上天神町から現在の扇町に移転した。(京都市の境内掲示より)。










所在地:京都府京都市 上京区堀川通上御霊前上る扇町722-10
外部リソース
Additions
『都名所図会』水火天神(国立国会図書館デジタルコレクション)
水火天神(すいくわてんじん) は堀川の北、天神の辻子にあり。祭る所水火の霊神なりといふ。(一説には天満天神なりとぞ)
登天石
菅原道真公が大宰府の地に於いて亡くなられて後、都では天変が相次ぎ、雷火の災いが重なったことから、菅公の怨霊の祟りと不安が高まりました。時の帝、醍醐天皇は、延暦寺の法性坊尊意僧正に祈祷を依頼します。勅命を受けた尊意が、急ぎ山を下りて宮中へ向かう途中、鴨川が突如増水し町へと流れ込みした。しかし尊意は騒がずに、手にした数珠をひともみして、天に向かい神剣をかざして祈りを捧げたところ、不思議な事にたちまち水位が下り、水面が真っ二つ分かれ、水流の間から一つの石が現れました。その上に菅公の神霊が現れ、やがて昇天し雲の中へ消えて、雷雨も止んだ。ということです。その石を持ち帰り供養して、登天石と名付けました。
(水火天満宮のウェブサイトから)