白峯神宮参拝後、昼食。普段から土曜日のお昼はたいていそば。近隣でそば処を探したら評価の高い「蕎麦屋にこら」を発見。店の前に自転車を停めさせてもらって、上品な蕎麦を堪能した後、今出川通を西に、新町通に入って霊光殿天満宮。
神宮や宮というのは皇室の祖先神を祀る神社。天皇の臣下に当たる人物を祀る神社で、宮号を称するのは菅原道真を祀る天満宮と徳川家康の東照宮。この唯二の御柱が同じ社殿に祀られているのは珍しいのではなかろうか。小さな神社ながら境内の隅々まできれいに整えられている。御朱印をいただきに社務所のインターホンを押すと、年配の男性。御朱印をいただいた後、ご本人が鳥羽の生まれであること、氏子の方々の推挙でこの天満宮の管理人をしていること、神主は常駐していないこと、歴史的にも重要な社宝があることなどなどを伺う。この社への愛情を感じる。おじいさんこそがこの天満宮とその歴史を守っているに違いない。おじいさんに会いにまたこの天満宮を参拝することにしよう。
祭神
菅原道真公と徳川家康を祀る。
由緒
霊光殿天満宮ト申シ奉ル
後一條院天皇ノ御宇天神六世ノ神孫贈從一位菅原義郷天皇ノ勅ヲ奉シ天神ノ御領地河内若江郡ニ神殿御建造アラセ給ヒテ御崇敬アリ尓来神威益々盛ナルニ至り御神告ニヨリ今ノ京ニ遷シ奉リ後宇多天皇ノ御宇蒙古ノ賊襲来ス 天皇則チ当社ニ於夷賊退治ノ祭事アリ神威嚇然トシテ忽賊船悉ク亡滅ス叡感アラセ給天下無敵必勝利運ノ御震翰ノ御額ヲ御進納アリ今尚宝存ス然カノミナラズ御寄附ノ神領若干アリ歴朝ノ御崇敬ハ至レリ應仁ノ大乱ニ御殿并ニ御神領荒敗ス徳川家康公当社ニ参拝アリ天下太平ノ祈願アリ又寄附ノモノアリ其後屡々火災アリテ朝廷ヨリ内侍所御進納アリ今尚御仮殿タルハ実ニ恐粛ニ堪ヘズ有志ノ甘心セザラン哉神徳之廣大ナルハ他社ノ比ニ非ズ 其ノ詳別由来記ニ有
(境内掲示の駒札より)
寛仁2年(1018年)、菅原道真の6代後の菅原義郷が勅命により河内国若江郡に神殿を建てたのが始まりである。社名は、道真の左遷の際、天から一条の光とともに天一神・帝釈天が降臨したとの伝説によるものである。
蒙古襲来の時には後宇多天皇が当社にて夷賊退治の祈祷を行わせたところ元の船がことごとく沈んでしまったので『天下無敵必勝利運』の額を天皇より賜った。応仁の乱の際に社領を失い、東寺境内に遷された。江戸時代に社家の若江家が再興され、塔之段に社殿を再建、宝暦11年(1761年)に現在地に鎮座した。
徳川家康は当社を深く崇敬し、元亀元年(1570年)に天下太平の祈願をし、また、若江家の再興に尽力した。家康の死後の寛永13年(1636年)、徳川家光が仙洞御所にあった家康の像を当社に移し、祭神とした。
現在の社殿は、明治5年に近衛家の旧鎮守社を移築したものである。(引用:ウィキペディア「霊光殿天満宮」)






















所在地:京都府京都市上京区新町通今出川下ル徳大寺殿町
外部リソース
- 霊光殿天満宮(ウィキペディア)