京都2日目。ゲストハウスを出て京都駅に手荷物を預け、東本願寺近くのレンタサイクル店で自転車を借りる。今日は京都市東側を回る。渉成園から七条通にでて東進。前日は坂道はほぼなかったが、七条駅を過ぎたあたりから上り坂。京都国立博物館西の坂を登ったところに新日吉神宮。「しんひよしじんぐう」ではなく、「いまひえじんぐう」。日吉は日枝、比叡と同義。山王信仰に基づいて比叡山山麓の日吉大社から勧請を受けた社。眷属の猿の像も境内にある。後白河法皇の命に由緒を持つ。境内は広く、山門、本殿など堂々としているが、人はまばら。飛梅天満宮は本殿に向かって左側。菅原道真公と飛梅之霊の合祀というのが特徴的。
由緒
新日吉神宮
永暦(えいれき元年)(一一六〇)、後白河法皇が、その御所法住寺(ほうじゅうじ)内に比叡山東坂本の日吉山王(ひえさんのう)七社(日吉大社)を勧請(かんじょう)したのが当社の始まりである。祭神として、後白河法皇のほか、皇居守護神山王七柱を祀り、酒造、医薬、縁結びの神として信仰を集めている。
当初は智積院南側に創建されたが、元和(げんな)元年(一六一五)、豊国廟社(びょうしゃ)の破毀(はき)とともに旧廟前に移り、更に、明治三十年(一八九七)にこの地に移った。
社殿は応仁の兵火で焼け、その後しばしば増改築が行われたが、現在の本殿は、天保(てんぽう)六年(一八三五)の改造で、大きな流造(ながれづくり)である。
古くから朝廷の崇敬が厚く、上皇の御幸(ごこう)は百八度に及んだといわれ、数多くの天皇の遺物、宸筆(しんひつ)を蔵している。また、寛政十年(一七九八)に妙法院から境内の樹下社(このもとのやしろ)に寄進された、長谷川等伯筆と伝わる豊臣秀吉の肖像が保存されている。なお、江戸後期の小沢蘆庵(おざわろあん)をはじめ、多くの文学者の本など近世文学の資料を蘆庵(ろあん)文庫の名で宮司家が保存していることは有名である。
(京都市による駒札より)
飛梅天満宮
永暦元年後白河天皇により菅公之神霊天満大自在天神と菅公遺愛の飛梅之霊を祀られる。
飛梅之霊は菅公が大宰府下向の際
「東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 主なしとて春を忘るな」
と詠まれて別れを惜しまれた旧宅の梅が一夜の中に配所に花を咲かせたという故事による
(境内掲示より)















所在地:京都府京都市 東山区妙法院前側町451-1
外部リソース
- 新日吉神宮(ウィキペディア)
- 新日吉神宮ホームページ