京都東山西麓の天満宮巡りを、粟田神社で最後にし、三条通を西進。鴨川を超え、鴨川沿いの路地裏を自転車を押して南下。押して自転車を進めるにしても迷惑かけてしまうなと反省。四条河原町から高瀬川沿いに少し南下。その後右折して、寺町通を北上し、前日夕方に閉門していて参拝できなかった火除天満宮。タカシマヤの駐輪場に自転車を置かせてもらう。
社殿はコンビニの入ったビルの奥、ビルと隣のタカシマヤ駐車場入り口を仕切る壁が参道のようになっていて、近所の商店街のお店から奉納された御神灯が並ぶ。御朱印は境内ではなく、斜め向かいの岡本鏡店でいただく。地域の人が守り続けている天満宮なのだろう。
由緒
当社は天正七年 ( 1579年 )、九州での兵乱を避けるため、筑紫国 ( 現在の福岡県 ) の
大宰府から一人の老神官が菅原道真公の像を背負って入洛し、六条通周辺に祀った
のが始りといわれる。
天正十五年 ( 1587年 )、烏丸二条の地に大雲院が開創される際に、鎮守社として
迎えられ、その後、慶長二年 ( 1597年 ) に現在地に創建された。
元治元年 ( 1864年 ) の蛤御門の変では、この一帯だけが奇跡的に類焼を免れた。
これ以降もしばしば火難から救われたという伝承があり、学問成就とともに火除の神として
多くの信仰を集めている。
なお、境内には天満宮二十五社第九番の石碑がある。
(京都市による駒札より)













所在地:京都府京都市 下京区貞安前之町613
外部リソース
- 火除天満宮(ウィキペディア)