#82. 一夜天神(壬生寺境内)

天道神社から仏光寺通をひたすらに西進し壬生寺。新撰組ゆかりの寺で境内の壬生塚には隊士の墓塔が祀られているが、維新の歴史には目もくれず、表門をくぐり右側にある一夜天神へ。由緒が掲示されているが、太宰府左遷の折、壬生の地に親戚を訪ねたというのは、後世の人の想像かもしれない。京都の寺院は神社もその境内にしっかりと残している。明治の神仏分離政策をどのように切り抜けたのだろうか。
境内を散策していたら雨がまた降ってくる。しばし雨宿り。

由緒

その昔、菅原道真公が筑紫へ流罪に処せられた時、この壬生の地に親戚を尋ね、一夜を明かし、別れを惜しまれたという伝説がある。
江戸時代前期、壬生寺の支院・寂静庵の開基、託願上人の夢枕に道真公が立たれ、壬生の地に道真公をまつるように告命されたという。そこで上人は神像を刻み御社を建立して「一夜天神」と名付けたといわれる。 現在の御社は嘉永五年の再建ではあるが、御神体には託願上人刻と伝える一夜天神像がまつられ、御社前の石鳥居には「寛文十二壬子年(1672)」「託願建之」の文字が見え、当時のおもかげがしのばれる。
一夜天神は「一夜にして知恵を授かる」として、学業上達の御利益を伝える。また、一夜天神の向かって左には六所明神、向かって右には金毘羅大権現があわせてまつられている。六所明神は壬生寺の鎮守である。金毘羅大権現は伽藍守護の神である。
(境内掲示より)

一夜天神(いちやのてんじん) 壬生寺の門前民家の間にあり北野一夜松の霊を勧請しけるなり
(『拾遺都名所図会』)

所在地:京都府京都市中京区坊城通仏光寺上ル壬生梛ノ宮町31

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