一夜天神の後、綱敷行衛天満宮を目指すが、雨脚が収まらないこと、ちょっと距離がありそうな気がしたことから方針転換。京都駅方面に戻ることにして、五条通を東進。烏丸通を越えて千喜万悦天満宮。狭い敷地に祠がある。祠の奥を見ると報国山の扁額を掲げた本堂。先の一夜天神と同じくここもまた、寺内の天満宮。御朱印がいただけることはネットで知っていたので、インターホンを押すと住職さん。本堂に招き入れていただき、堂内の内陣を拝ませていただく。ご神体とされる絵は御扉の向こう。手を合わせたのち、住職さんが御幣を取り出しお祓いをしてくれる。その後、西念寺がかつては広い敷地を持っていたものの、五条通の拡幅工事でだんだんと敷地を狭めて今に至ったこと、明治時代の天満宮の奉加帳を見せていただいて三越や高島屋の寄進があったこと、そして、重要文化財に匹敵する涅槃図が西念寺にあり、いまは修復のためにこの場にないこと、修復のためには数千万円の資金が必要で、その資金集めに奔走したこと、涅槃図の構図や登場人物の歴史的な変遷、そしてもう一つの寺宝、親指と中指で輪を作り掌をみせる珍しい印相をした阿弥陀如来像の話をしていただく。最後に御朱印。思いがけずいろいろなことを教えてもらう。旅はこれだからおもしろい。日曜日なのに対応してくれた住職さんに感謝。
由緒
創建や由緒等は不明。ご神体は天神像と「菅家繁盛の図」。「菅家繁盛の図」は昌泰二年(899年)菅原道真公が宇多天皇から右大臣に任じられた慶事の様子を道真公が描かせた絵図と言われる。1945年、戦時中の五条通拡張工事に伴い現在地の西念寺門前に遷される。足利尊氏の寵臣の饗庭命鶴丸に崇敬されてましたが、子孫が長崎に移住するにあたり宝永元年(1704年)に西念寺に寄進されたとの記述もあるが、この記述の裏付けとなる資料は不明。








所在地:京都府京都市下京区五条通高倉東入ル南側堺町
Additions
千喜万悦天満宮が鎮座する西念寺の寺宝に重要文化財に匹敵する涅槃図がある。この涅槃図に関わるニュース。
- 西念寺ルポ 「100年に一度」の涅槃図にびっくり(朝日新聞デジタル)
- 西念寺「仏涅槃図」 国宝・重文にも匹敵 (朝日新聞デジタル)